文・写真:和田博幸
1999年、インドネシア南東部マルク諸島で大規模な宗教抗争が勃発し、多数の子どもたちが少年兵として巻き込まれていった。
第一回「インドネシア・マルク諸島1999年1月19日――すべてはあの日に始まった」
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3年間という短い期間に、多数の犠牲者が出た被害の深刻さを考えると、マルク宗教抗争の実態についての報告は少ない。その理由として、インドネシア政府による非常民政事態が現地に発令され、外国人の立ち入りが禁止されたことにあると考えられている。一部の援助関係者をのぞき、ジャーナリストを含めた外国人のマルク州への入域は、厳しく制限されてきた。それが紛争の実態を解明することの大きな制約になってきた。
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マルク諸島は、かつては香料諸島と呼ばれ、クローブやナツメグなどスパイスの産地として知られてきた。マルク州の州都アンボンは、人口はおよそ30万人の港町だ。その人口のうち、キリスト教徒とイスラム教徒の割合は、およそ半分ずつである。イスラム教徒が9割を占めるインドネシアにあって、マルク諸島はキリスト教徒が比較的多い地域として知られている。互いの住民が、およそ400年の長きにわたって共存する地として、ここマルク諸島は知られていた。
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| 「クローブ(丁子)。こうしたスパイスを求めて16世紀にポルトガル船がやってきた」 |
紛争前、村には746世帯の住民が暮らしていた。イスラム教徒は183世帯、カソリック教徒は152世帯、そして残りの多数派がプロテスタント教徒だった。
そもそもの村の起こりは、1970年代にカソリック教会がこの土地をイスラム教徒の地主から購入し、ジャングルを切り拓いたことに始まる。いくつかの教会関連の施設が建設されている。それ以降も、森が切り拓かれ、宗教の違いに関係なく人びとが入植していった。様々な村びとが地域のなかで混ざりあい、平和に暮らしてきたという。
クリスマスやイスラム教の断食明けの祭りであるイードゥルフィトルの時などには、お互いが異なる宗教の隣人を招待し、ともに祝いあった。また教会やモスクの修復の時には、寄付や人手をだしあうことが通常のこととしておこなわれた。
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| 「アンボン市内で遊ぶ子どもたち」 |
1999年1月19日、アンボン市内のバス乗り場でおきたイスラム教徒とキリスト教徒のささいな喧嘩が、そもそもの紛争の発端だといわれている。その数時間後には、アンボン市内各所で武装した集団による焼き打ちが発生し、アンボンは騒乱状態になっていった。
こうした暴動の火の手が燃え上がるなか、子どもたちも否応なく争いに巻き込まれていく。私は戦場に身を置いた子どもたち一人ひとりを訪ね、かれらの惨烈を極めた体験に耳を傾けることになる。







