第一回 高砂義勇隊-2
台湾・霧社――標高1000m、通称「棄民の里」 。
一枚の写真から、歴史の狭間に消えた若い義勇兵たち、その命の残像をたどる。
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1枚の写真がある。3人の兵士がこちらを見つめている。たすきに「祈武運長久」とあり、まがうことなく旧日本軍兵士であるが、彼らは日本人ではない。台湾のセイダッカという少数民族の若者である。 この3人はこれから、南方の戦地へ向かうところだ。故郷の山をあとにした彼らは、ゲリラ戦の訓練を積んだあと、高雄港から南洋の戦地に向かった。昭和17年夏のことである。
右に座っているのが、ポホク・タダオ。台湾中部の霧社に近い先住民の集落・ホーゴ社の頭目の家系に生まれた。7人兄弟の2人目、長男であった。
彼の名を知る人は限られているが、ひとつ上の姉の名を知る人は多い。姉は、オビン・タダオ、日本名を初子といって、霧社事件のヒロインの1人である。
オビンは、その家系の良さ、聡明さを認められて、日本人の通う霧社小学校に入学し、同じくホーゴ社の青年で警察に雇用されていた花岡二郎(日本名)と 17歳で結婚する。オビンは花岡初子となり、警察職員家族として日本の山地支配の最前線に立つことになった。
日清戦争で、台湾を領有した日本は、平地の支配を達成すると、九族とも十族とも言われる山地先住民の支配に乗り出したが、それは、激しい抵抗にあって難航した。日本は断固たる討伐を行う一方で、日本人警察官と頭目の娘の結婚、さらには先住民自身を警官に仕立てあげる政策を進めた。霧社、そしてオビン・タダオはそうした先住民統治のモデルであった。
その霧社で台湾統治史上最大規模の抗日事件が勃発した。昭和5年10月27日、霧社蕃と呼ばれるセイダッカの精鋭約300人がいっせいに蜂起、小学校の運動会場になだれ込んで日本人130数名を殺害した。歴史上名高い霧社事件である。
オビンたちはその朝まで事件の発生を知らなかった。オビンたちは混乱の中を奇跡的に生き延びたが、頭目の父は戦死し、オビンの夫の花岡二郎も一族を道連れに自ら命を絶った。
日本軍警による鎮圧はし烈を極め、蜂起した6部落住民、約1300名のうち、およそ1000名が戦死、あるいは自殺した。
300名足らずの生き残りは、翌年5月、まる1日の道程を歩いて、平地へ強制的に集団移住させられる。そこは、外界と1本の丸木橋が渡されただけの陸の孤島で、中央部の警察官舎と学校の周囲を塀で囲み、その外側に住民の家屋が点在するという異様なつくりだった。川中島と名付けられたその集落は、日本に抵抗したひとつの民族の生き残りを収容する「棄民の里」だった。
臨月のお腹を抱えたオビン、そして母や6人のきょうだいは、土砂降りの雨のなか、丸木橋を渡って、なんとか無事に「新天地」に入った。しかし、不慣れな平地での生活にマラリアなどの病魔が襲い、亡くなった家族を追って自殺するものがあとを絶たなかったという。
事件後、「生蕃」と呼んでいた呼称を「高砂族」に改めたり、警察職員に先住民の言葉を習わせたりするなど、日本は、統治の方法を若干改めたといわれる。 しかし、霧社事件の翌年には満州事変が勃発、中国への侵略が本格化する。日本の先住民統治は、単なる「文明による教化」から皇民化教育へと変質していくことになる。
●高砂義勇隊――若者たちは戦地へ消えた
事件当時、15歳だったポホクは10年後見事な青年に成長した。時に、太平洋戦争の真っ最中、山岳戦での特異な能力に目をつけた日本軍は、台湾先住民を対象に高砂義勇隊の組織を企て、台湾全土で2000名が応募した。第1回高砂義勇隊はこの川中島からも出ていき、全員が元気に凱旋、村では盛大な祝勝会が開かれた。
高砂族の中でももっとも勇猛果敢な戦士として知られるセイダッカ、その頭目の長男として生まれたポホクは、さっそく第2回義勇隊の募集に応じ、採用される。このとき川中島からは3人の若者が戦地に赴いた。
この写真の3人である。
オビンたちの願いもむなしく、ポホクは二度と母や姉が帰りを待つ川中島へは帰ることはなかった。写真のうち生還したのは、中央の青年のみである。
彼の名はワリス・ピホ、日本名を米川信夫、戸籍上は高成佳である。生涯に3つの名を持つことになったこの高砂勇士は、急死に一生を得て帰りながら、戦後半世紀、日本政府から1銭の補償ももらわないまま、亡くなった。生前、何か日本人にいうことはありませんか、と問うと、「兵隊は負けていません。陛下が降伏したのです」とのみ語った。
義勇隊は7回に及んだ。成年男子の大半を失っていたこの棄民の里から、さらに元気な若者たちが次々に出征して行った。最終的には30数名が出征し、帰って来たのは10人に満たなかったという。あのまま戦争が続いたら男という男は根こそぎ持っていかれたであろう。
川中島の青々とした稲穂に秋風が渡る。新旧様々な家々が立ち並ぶ集落からは、外界の雑踏が嘘のように寂として物音ひとつ聞こえない。外来の異民族に翻弄され続けて来たセイダッカの民。その子孫たちは今も川中島に生きている。(続く)




