第二回 ナヌムの家〜元日本軍「慰安婦」のハルモニたち
日本政府に対して「公式謝罪と法的補償」を求めるハルモニたち。彼女たちの心の痛みはいつ癒されるのだろうか。
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| 「慰安婦」時代の写真を抱く李玉善さん。「日本軍が何をやったのか。私はその生き証人です」 |
●水曜日集会
11月26日の水曜日正午、ソウルの日本大使館前でいつものように小さな抗議集会が始まった。参加者は元日本軍「慰安婦」のハルモニ(おばあさん)たちと支援者たちの総勢30数名。92年から毎週水曜日に集会を催して、今日で585回目という。
昼食のため外に出てきた大使館の職員や周辺の会社員たちは、もう見慣れているのか、ハルモニたちの訴えに関心を示すこともない。大使館の警備にあたる10 数名の戦闘警察の男たちですら、うすぼんやりとした視線を投げかけているだけである。すべては日常化した光景のひとコマに過ぎない。
しかし、10年以上もここに足を運んできたハルモニたちの心の痛みや無念の思いまで埋没したわけではない。彼女たちが求めているのは、きちんとした謝罪と法的な償いであり、それに応えようとしない日本という国への「恨」は溶解することはない。
ハルモニのひとりは、「寒くても暑くても、雨のときも雪のときも、ここに来ることをやめるわけにはいきません。この問題を解決しない限り、また私たちのような目にあう人間が出てくるかもしれません。死ぬまでここに来て私たちの存在を日本人に見せつけてやりたいのです」と言う。
●ナヌムの家のハルモニたち
集会に参加したハルモニの多くは、元「慰安婦」の共同生活の場である「ナヌムの家」からやって来た。「ナヌム」とは「分かち合い」を意味する韓国語だ。この施設は11年前、ソウルで建てられ、その後、京畿道広州市(キョンギドウ・カンジュシ)へと移転した。ソウルから車で約1時間半、寄贈された850坪の敷地の中に、2棟の生活館や「日本軍『慰安婦』歴史館」などがあり、今は12人のハルモニたちが暮らしている。周囲を田畑に囲まれ、静かな環境の中で彼女たちはひっそりと余生を過ごしていた。
私が訪れたとき、施設を案内してくれたのは、矢嶋宰さんという日本人の職員である。彼は写真家でもあり、昨年1月から住み込みで働きながら、ハルモニたちの写真を撮っている。「『慰安婦』問題は日本側が解決しなければならない課題です。この問題を戦後60年近くも放置してきた日本の責任は重い」。
ナヌムの家に来た日本人たちは、ハルモニたちと出会う中で日本と日本人のあり方を自ら問わずにはいられない。戦後補償問題が解決されない限り、日本の国民である私たちの政治的責任もまた解消されないと矢嶋さんは言う。
争被害者たちの怒りの矛先は、日本だけでなく、自国の政府にも向けられている。8月中旬、元日本軍「慰安婦」や強制連行の被害者など430人余りの人々が、「韓国政府は日帝の被害者から目を背けている」という理由で、韓国国籍を放棄すると宣言した。
「光復(日本の植民地支配から解放されたこと)から58 年もたつのに、被害者たちはなんら法的補償や名誉回復の処置を受けていない」と国籍を放棄することで抗議の意思を表明したいという。むろん、外国籍を取得した場合や2重国籍の持ち主でなければ、実際に国籍が消失することはありえない。だが、植民地被害、戦争被害の解明などを目指す、特別法制定に向けた運動の象徴的な意味は持つ。
ナヌムの家に住む李玉善(イ・オクソン 76歳)さんは、国籍放棄を決めた2人の元「慰安婦」のひとりである。彼女は16歳のとき日本軍の「慰安婦」として旧満州(今の中国東北部)に連行され、日本の敗戦後も彼の地に取り残されていた。李さんは文字が書けないため、自分の存在を韓国に知らせることができなかったという。結局、祖国に帰還できたのは00年6月のこと。故郷の地をふたたび踏むまでに58年の歳月が流れたことになる。
「韓国に戻ったら、もう戸籍もなかった。戸籍を回復するのに1年7ヶ月もかかりました。いまそれを放棄するのは、ほんとうに心が痛むことです」
中国に置き去りにされた55年間、無国籍者として生きねばならなかった李さんの胸のうちを思えば、国籍放棄は身を切られるような苦痛を伴う。李さんは私たちを自室に招きいれ、「慰安婦」時代の酷い日々を語ってくれた。
「私はトミ子という名前をつけられ、毎日、4,50人の兵隊や軍属を相手にしたものです。一般人は入れませんでした。たちの悪い将校に眉間を殴られ、日本刀で右腕を切られたこともあります。逃げてもすぐに捕まり、死ぬほど殴られた。私たちは人間ではなかったのです」
苦しみながら死んでいった人たち、名前ひとつ残さずに消えていった「慰安婦」たちのことを考えると自分の体験を語り継がねばならないと李さんは思う。
李さんは慰安所で一銭のカネももらっていない。「『慰安婦』たちはカネ目当ての売春婦」と蔑む者たちに対しては、激しい怒りを覚える。また戦後、日韓で取り決められた賠償金は、もっとも救済を必要としていた人々の手元には届いていなかった。「盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領にも手紙を書いたけど、小泉首相に対して日本の責任を追及できないようではダメですね。政治も信用できません」。
12月10日、世界人権宣言記念日にあわせて、李さんたちは国連の人権委員会へ国籍放棄書を提出し、日本が行った戦争の被害者への救済を訴えた。「公式謝罪と法的補償」を求める人々の切実な願いは、国家の厚い壁をゆさぶることができるのだろうか。元「慰安婦」たちは高齢となり、次々に世を去っている。残された時間は少ない。
これからソウルは厳しい冬を迎える。ハルモニたちは寒風の吹きすさむ街頭に立ち、日本大使館に向かって「軍国主義復活反対!」の声をあげ続ける。春の訪れる気配はまだない。
(野中章弘)




