第2回 ろうそくの光に包まれた町
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| スーチー一行に反対する人々。こうした活動は軍政の翼賛組織であるUSDA(連邦団結発展協会)によって組織されていた。 | |
マンダレーを出発したNLD一行の車は10台。アウンサンスーチー、ティンウーという主要な指導者のほかに、NLDマンダレー支部を中心におよそ130人の党員が同行した。一方で、NLDを支持する100人以上の人びとが自発的意思でバイクや自家用車で一行の後を走った。
ザガイン鉄橋を渡ると、NLD一行を非難するプラカードを持つ人びとが待ち構えていた。『外国勢力を頼る裏切り者!悲観主義者に反対!』といった軍政お決まりのスローガンが書かれていた。スーチー一行はこれまでの遊説旅行でもこうした妨害に度々あっており、さして驚きはしなかった。
しかし、マンダレーを出発する直前、「何か問題が起きても、決して喧嘩沙汰にしないこと。罵らないこと。怒りの目さえ見せないこと」という党内指示がNLD一行に出されていた。スーチー女史は途中、各地のNLD支部に立ち寄り、党サインボードの掲示、青年部の設立式をこなす一方、精力的に演説を行った。
夕方6時頃、モンユアの街の入り口に辿り着くと、一行の動きが止まった。スーチー一行を歓迎に来た何千台ものバイクと車。そして、子どもから老人まで、出迎える数万人の人びとで溢れていた。
事件後、タイ国境に逃れたドー・ニュンニュン(52歳)は、あの時の感情の高まりを思い出すように語った。
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| NLDマンダレー党員ドー・ニュンニュン。事件後、地方に潜伏し、9月にタイ国境の町メーソットに逃れた。 | |
「本当にたくさんの人びとが私たちを歓迎してくれていました。ひとりの老婆は『アウンサン将軍の娘はどこだい?ひと目見たくて、やって来たんだよ』と言いました」。
モンユアでは2日前から電気の供給が停止していた。暗闇の中、人びとは一人ひとりキャンドルを灯してスーチー一行を歓迎した。闇の中に何万本ものキャンドルライトが灯され、モンユアは光の海に包まれた。
「あのとき、ドー・スーの顔を見たら、頬が震え、今にも涙がこぼれそうでした」。
ドー・ニュンニュン自身、涙をこらえ切れなかった。「あのとき、あの場所を包み込んでいたのは、人びとの思いやりでした。バイクや車が少しぶつかっても、お互いが遠慮し、お互いが相手のことを思いやるような光景を目にしました。人びとは口々に『健やかでありますように。豊かでありますように』と呟いていました。私はあのような光景を今まで見たことがありません」。
モンユア市街の中心部に一行が着いたのは、午後9時を廻っていた。
翌朝、スーチー女史は僧院を訪問後、モンユアを出発した。途中、ブダリンで昼食を取った。サイビン村で、党サインボードの掲示、青年部の設立式を行った後、ディペーインに向けて出発した。
事件後、タイ国境に逃れたアウンアウン(39歳)とナインナイン(34歳)は、当時、一行の先遣隊として、数時間前に出発していた。「私たちが事件現場に着いたのは、午後5時半頃でした。ちょうど周囲に村がなく、カーブを曲がりきったところで、たくさんの男たちが道沿いに立っていました。プラカードは下におろしたままだったのですが、その数はこれまで見たことがないほど多く、ただならぬ雰囲気でした」と、アウンアウンは語る。
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スーチー一行の先導車に乗っていたDPNS(新社会民主党)のアウンアウンとナインナイン。事件で拘束され投獄されていたが、釈放後タイ国境に逃れた。
彼らの車は、特に危害を加えられることなく、通り過ぎた。しかし、数十メートル離れた農業省灌漑局の前で車を止められた。兵士が20人、警察官が80人ほどおり、灌漑局の敷地内に誘導された後、拘束された。車から降ろされた後、手を縄で縛られ、トラックの荷台に乗せられた。中には、スーチー一向を迎えに来ていたディペーインのNLD党員が拘束されていた。
ふたりはただならぬ事態が起こりつつあることを察した。







