第4回 事件はなぜ起こったのか
多くの国民がアウンサンスーチーへ熱烈な支持を向けるにつれ、軍事政権はスーチーらに“脅威”を感じ始めていた。
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| ディペーイン事件について語るディペーイン特別委員会のアウントゥー氏 | |
●アウンサンスーチー拘束
銃撃を逃れたアウンサンスーチーの車は、全速力でディペーイン方向に向かった。しかし、ディペーインの町の入口にある検問所で、警察官に止められた。警察官は銃を向けて威嚇し、スーチーの乗った車はそこで足止めされた。その間、スーチーは負傷した党員を気遣い介抱していた。彼女自身、腕と首のところを、ドアのガラス破片で怪我していた。数時間後兵士が来て、スーチーらを拘束した。
ナインナインらは事件後、シュエボー刑務所に収監され、そこでスーチーの車を運転していたチョーソーリンに、そう聞かされた。
●事件の裏には軍事政権の影がある
事件直後から、タイでディペーイン事件の真相究明特別委員会を組織し活動しているビルマ弁護士評議会書記のアウントゥー氏(52歳)は、「この事件は、軍政のいうNLD支持派と反NLD派の間で偶発的に起きた衝突事件ではなく、軍政によって計画的かつ組織的に行われた事件です」と言い切る。その理由として、次の点を挙げた。
(1)事件発生から16時間後に軍政が記者会見を開き、衝突事件と断定したこと
(2)夜遅く、附近に村のない場所で起きたこと
(3)5000人ほどの襲撃者がいたこと
(4)USDA(連邦団結発展協会=軍政の翼賛組織)に対し、事前に指揮系統の訓練が行なわれていたこと
(5)トランシーバーを使用していたこと
(6)襲撃者が腕に目印の布を巻いていたこと
(7)翌朝までに現場から証拠を撤去していること
(8)被害者のみ一方的に拘束や尋問を行なっていること
(9)一時拘束していたNLDメンバーを釈放するとき、この事件について何も語らない旨を約束させる署名をさせたこと
(10)附近の村民を強制的に移転させる計画があること
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| スーチー演説を聞きに集まった大勢の市民。アラカン(ヤカイン)州シットウェ市(2002年12月) | |
政府当局によって、計画的かつ組織的に行われたのが間違いないとすれば、いったい何のためなのか。
「5月30日までのスーチーの遊説は、非常に盛り上がりを見せてきていました。すべての遊説先で成功を収めたといってもいいでしょう。すべての場所で人びとが歓喜して迎えています。少数民族さえもです。アラカン州ではアラカン民族が、チン州ではチン族が、カチン州ではカチン族が、歓迎しています。その中でも人びとが最も歓迎した場所が、モゴックとモンユアでした。モゴックでは驚くほどの人びとが迎えました。モンユアでは期待していなかったにも関わらず、 30万人の人が迎えたといいます。45分ほどで行けるところを、たくさんの人びとが迎えたため、3時間以上もかかりました。それほどの状態になったのです。こうした状況を、軍政は自分たちの権力を侵し始めてきたと判断したのです。この状況を放置しておけば、いずれ手に負えない状況になってしまう。最期には彼らには2つの選択しかありませんでした。このまま放置するか、ここでどのような方法を使ってでもとにかく封じ込めるか。そして、彼らは後者の方法を選んだのです」と、アウントゥーは分析する。
●アウンサンスーチーはなぜ解放されないのか
ビルマ軍事政権がアウンサンスーチーを解放できないのは、彼女自身がこの事件の当事者であり、証言者であるからだ。彼女の目の前でたくさんの人びとが殺されていった。彼女が解放されれば、この事件について沈黙したままでいるはずがない。
この事件において、被害者のみが拘束・投獄されており、加害者はいまだ一切処罰されていない。一時拘束されたのち釈放された者は、この事件について一切口外しない旨の署名をさせられている。弾圧を恐れて、ビルマ国内にいる事件の被害者は、この事件についてなかなか語ろうとしない。犠牲者の遺族でさえ、その思いを誰にも語ろうとはしない。
事件現場の農業省灌漑局の敷地には、ディペーイン第二警察署が建設された。
「埋めた遺体を永久に隠蔽するためだ」
恐怖に覆われたビルマのなかで、人びとはそう囁きあっている。





