なぜA教諭は不起立を決意したのか
学校行事における「国歌斉唱時の起立」が都教育委員会によって服務規程と決定された。A教諭はこのことに反対し、たったひとり起立しなかった。その心にあったものは何か。
●亡父への思い
「結局は売名行為なんじゃないの」
たったひとりになっても「不起立」をまっとうしようとするA教諭に対して、周囲は冷ややかな視線を浴びせた。また、「地方公務員なんだから、その辺は分別つけるべし」と言う声も広がった。
しかし、A教諭の決意が揺らぐことはなかった。なぜならば、、A教諭の心にはどうしても拭いきれないある「思い」が存在しているからだ。
A教諭の父親は、太平洋戦争中を満州で過ごしていた。その当時、父親はA教諭の母親ではない女性と結婚しており、生まれたばかりの幼子と暮らしていた。日本の敗戦に伴い、父親は元妻とや子どもとともに日本へ帰ることを決め、家族で満州を脱出。しかし、劣悪な環境がたたったのか、その道中に妻子は命を落とした。このことを含め、父親は自身が満州で何をしていたのかなど、当時のことを一切語ることなく死んでいった。A教諭は、大人になってからこのことを家族の者から聞かされたという。
A教諭の心には、父親が満州から戻らなければ自分は生まれていなかった、との思いがある。このことを思い出すとき、心にはいつも、命を落とした元妻や自分の兄弟姉妹でもあった幼子のこと、そして一切を語らなかった父親の後ろ姿が浮かびあがる。その残像は、「父親たちが生きてきたあの時代は、一体何だったのだろうか、」という問いかけをA教諭の心にこだまさせる。
「叔父も戦争へ出征したのだけど、空っぽの木箱ひとつで帰ってきたのね。結局それは、国家に殺された、と私は思っているんですよ。国家に命じられた戦争の犠牲者であると、はっきり思っているんです」
A教諭は、自らの心の内にある日の丸・君が代への価値観をこう吐露する。
また、A教諭には、学生時代から家族同然でつきあいを続けている在日朝鮮人の友人たちがいる。彼らの歴史を肌で感じ、見聞きもしてきた。
「身内だけでなく、友人のことを考えても、侵略の戦争責任という問題から逃れられないと思うんです。そしてそのシンボルだった、日の丸・君が代へ心をむける、または隷属するということは、私は絶対にできない」
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| 平成15年度の卒業式では、都立学校のすべてが国旗を規定どおりに掲揚した。 | |
●「A先生、起立してください」
A教諭は、平成15年度の入学式において服務違反を理由にすでに一回、戒告処分を受けている。今回の卒業式で不起立をしたとなると、二度目の戒告処分となり、それは免職の可能性をも匂わせていた。
「今回の卒業式で起立しなくても、誰に何も言わなくても処分されるだろうし…。私にも生活があるから、免職ということになったら失うものが多いことは確かなこと。だけど、どうせこのまま抹殺されていくのであれば、言うべきことはきちんと言っておこうと思って」
A教諭は、「不起立宣言」へと至った心境をこう語った。その根底には、日ごろから「あなたが決めるということが一番大切なこと」、「自分の意志をはっきり持ちなさい」と子どもたちに伝え、むきあってきたA教諭の教育理念もあった。
「A先生、起立してください。A先生、起立してください。都教育委員会の方がいらっしゃっています」
卒業式が始まってすぐに、「国歌斉唱」の時は訪れた。一同が一斉に起立する中、毅然と前を見据え、椅子に座り続けるA教諭。教頭は「不起立」をしているA教諭に対して、先のような注意を二回ほど施した後、「○時○○分、現認しました」と言い、席へ戻っていった。「現認」とは、「今、ここでこの現場を認めた」という意味の略語である。卒業式におけるA教諭の「不起立」は、証拠としてビデオテープに撮影された。
式が終了した後、校長室では記者会見が開かれた。今後の学校側の対応として校長は、「不起立は、職務命令違反ですので、当然のことながら都教育委員会の方に報告を上げる予定です。ただ、本人を呼んで事情聴取することができておりませんので、今後それをやった上で報告を上げていきたいと思っております」と述べた。
式終了直後に、学校側から事情聴取のため呼び出されたA教諭は、「聴取には弁護士の同席を、」と求めた。しかし、それは認められなかった。結局、A教諭への事情聴取はされないまま、その日のうちに都教育委員会へ報告は上げられた。
(2004年05月07日 中平真由果)




