
アジアプレスインターナショナルの野中です。今日は自己責任論についての僕の考えを述べたいと思います。
橋田さんとは20年くらい前からベトナムやタイの取材でご一緒させて頂いて、昔から知っている人です。橋田さんや小川さんのようにフリーランスのジャーナリストは、いまもイラクで取材を続けています。アジアプレスは2人のジャーナリストがバグダッドにいます(6月初旬に帰国)。何人の日本人ジャーナリストが残っているかはわかりませんが、マスコミは朝日新聞やNHKなど7人、それにフリーランスですね。
自己責任論について西野さんが「萎縮」という言葉を使いましたが、僕自身も二十数年マスメディアで仕事をしていて、今ほどマスメディアが萎縮している時代はないと思います。それは自主規制であったり、これほど政府に寄り添う形の報道が強まった時代はなかったと思います。非常に危機感を持っています。例えば、立川の自衛隊官舎にビラを配って逮捕された事件がありました。自衛隊の官舎に「自衛隊撤退」という反戦のビラを配っただけで75日間も拘留されたそうです。東京都では日の丸掲揚、君が代不起立に対する処分が行われています。この流れの中で、自己責任論というものが出てきたんだと思います。マスメディアも含めて全体的にものが言いにくい状況になっていることを確認して話を進めたいと思います。
フリーのジャーナリストについて話をします。最初の人質事件が起きた時、様々なことが言われましたが、僕自身は全く筋違いの論理だと思いました。僕が二十数年、戦争や難民発生の現場を歩いてきて目撃したことは、NGOや市民の活動が世界の人々の命をどれだけ多く救ってきたかということです。国際機関や国といった大きな組織では救援できない現場が世界にはたくさんあります。そこで地道に世界の人々の救援の声に応えてきたのはNGOだと思います。NGOが果たしてきた役割に対してマスメディアも日本の社会もほとんど反応していません。
NGOの人達は自分勝手で好き勝手なことをやっている、というイメージだけが先行しましたが、それは間違いです。世界中で様々なNGOが自分達の存在をかけて救援活動にあたってきた歴史を正当に評価すべきだと思います。NGOを支えてきたのは高遠さんや今井君のような一人一人の勇気です。その勇気と行動力を評価するような社会でなければならないと思います。
次にフリーのジャーナリストについてです。戦場の現場で起きていること、戦場の周辺で起きていること、戦争に巻き込まれる一般の人達の現実を伝えるのがジャーナリストの責務です。戦争の現場に行くことはジャーナリストの本能です。どのような戦争であれ、記録されなければいけません。なぜなら非常にたくさんの命がそこで奪われるからです。何故その命が奪われなければいけなかったのかを、敵味方、あるいは攻撃した側された側を問わずに検証していかなければいけない。それを問い返していかなければ、戦争で死んだ人の命が本当に無駄になってしまう。
今回のイラク攻撃でもたくさんの人の命が奪われ続けています。この命が何故奪われなければいけないのか、命を奪うことなく、平和的な社会を形成できないのか。その最も重い問いかけをしてくるのが戦争だと思います。奪われた命に対して誰に責任があるのか、そのことを考える材料を提供していくのがジャーナリストの役目です。
戦争が起きた時、戦争の現場に行くことは第一義的に重要なことです。戦争の記録はワシントンや霞ヶ関ではなく、まず戦場でなされなければいけません。
フリーランスは国益や国家と距離を置いて戦争を見ていくことが原則です。つまり自立していなければいけません。何故なら戦争は国家が起こすもので、国家は戦争を起こす時、常にマス・メディアを利用しようとします。今回のイラク戦争でも顕著に表れましたが、情報操作をやるのです。それに対して抵抗する力をメディアは持たなければいけないし、ジャーナリストはそういう力をつけていかなければいけない。国家に寄り添った形で戦争報道を行う危険性を日本人は肌身に沁みて知っています。日中戦争、アジア太平洋戦争において日本のマスメディアはほぼ全面的に大政翼賛的な報道をしてしまったことで、日本人がどれほどの惨禍を被ったかは今さら触れるまでもないわけです。その時にもしメディアが戦場の実相を伝えていれば、あの戦争についてもう少し違った形でものを考えることができたかもしれない。日本人もジャーナリストも過去に起きた戦争における過ちを真摯に反省していかなければならない。その反省の上に立って、今起きている戦争についても報道していかなければいけないと思っています。
外務省が退避勧告を出したり、いい加減に撤退してくれ、という言い方をしていますが、ジャーナリズムは国家とは全く別の価値観と行動基準を持っていなければいけないんですね。国とは違う方針であっても、ジャーナリストはジャーナリストの行動基準に従って行動することを確認しなければなりません。
今、日本のジャーナリズムをみていますと、政府が報道機関をコントロールしようとする動きは露骨になっています。マスメディアをコントロールすることは難しいことではありませんし、政府も自信を持っているようです。この間のテレビ、新聞の動きをみていると、ごく一部の良心的なジャーナリズムを除いた報道の多くは、政府の見解に寄り添ったようなものになっているというのが僕の実感です。
今回、人質になったようなNGOやフリーランスは政府の手の外にある人達なんですね。つまり、社会の中でメインストリームにいる人ではなく、端っこにいる人達なんです。この人達がイラクで救援活動をやったり、反戦的な論調のリポートを出すことに対して政府も目障りだと思っているんですね。人質事件を契機に、この際、NGOやフリーランスのような社会の主流に納まらずに独自に活動する人達を叩いておこうという意図があったんだと思います。叩く時に「フリーランスもNGOも自分勝手で本当に困った人達で、周りの迷惑を考えない連中だ」というイメージを国民に植え付けようとしたわけです。こういう動きに対して、僕は反撃していきたい。
5月16日まで東京都写真美術館でロバート・キャパの写真展をやっていました。彼はスペイン市民戦争からキャリアを始めて1954年にベトナムで地雷を踏んで亡くなりました。キャパはスペイン市民戦争以来、いつ戦場で命を落としてもおかしくない取材をしていました。スペイン市民戦争の記録を始めた最初の日に命を落としてもおかしくなかった。
1954年までたくさんの写真を雑誌を中心に発表してきました。世界の人々はロバート・キャパ等の写真を見ながら、戦争の現実を知ることができたわけです。彼は亡くなってしまいましたが、彼の行ってきたジャーナリストとしての活動は、世界の人々が戦争とは何かを考える重要な材料を提供してくれたわけです。その意義は没後50年経っても衰えることはなく、我々は彼の写真を見ながら常に戦争の悲惨さ、愚かさを確認してきました。
ただ、それだけ経験豊かなジャーナリストであるロバート・キャパですら、ベトナムで地雷を踏んで亡くなりました。従軍していた時にもっといい写真を撮ろうとして土手に駆け上がろうとして地雷を踏んでしまいました。つまり、戦場でジャーナリストが亡くなる時には必ずミスがあります。ロバート・キャパもピュリッツアー賞をとった沢田教一、「地雷を踏んだらサヨウナラ」という言葉を残して死んでしまった一ノ瀬泰造、そして今回の橋田さん達にも必ずミスがあります。戦場のミスは死に直結するわけですが、ミスを全く犯さない戦場取材はありません。橋田さんが常々言っていました。「ミスを犯して自分の命を落とすことになっても、それは本望である」。いつもその様に思っていないと、ジャーナリストという仕事はできないでしょうね。事故があったから駄目だという話ではないんです。
去年も四十数人のジャーナリストが世界の様々な現場で殺害されています。ジャーナリストという仕事はそういうものだし、それ以上でも以下でもない。僕自身は戦場ジャーナリストを気取るのはとても嫌いです。我々は我々の仕事を淡々とこなすだけです。今、イラクの現場で最も伝えなければいけないことはイラクの人達の被害の現場であることはいうまでもないことです。この戦争を最初から見てきましたが、最も伝えられていないことはイラクの人たちの被害なんです。ファルージャで800人が殺害されたことは歴史に残る大虐殺です。安田君達が現場に行って記録したいと思うのはジャーナリストとして当然だし、それは高く評価すべきだと思うんです。ファルージャの虐殺等々が、きちんと世界のメディアに毎日のように流れていれば世論も大きく変わったはずです。何故この正当性のない戦争を政府は支持し、その日本政府をみんなは支持しているのかを考えてみた時、イラク側、つまり殺される側からのリポートが圧倒的に少なかったのではないかという反省を僕は持っています。イラクにおける米軍の占領支配がイラクの人達をどれだけ傷つけているのかという視点でリポートされることが最も重要なことだと思います。
話を進めますと、政府が「自己責任」論というものを出してきました。読売新聞などは政府が常に邦人保護に心を砕いており、政府の誠意(親心?)を踏みにじるような形でイラクに入ったあげく、人質になって迷惑をかけているというようなことを書いています。僕も二十数年間、いろんな紛争の現場で日本大使館に行きましたが、日本政府は邦人保護をほとんどやっていないですね。2月にバグダッドの大使館にも行きましたが、その時に日本人職員は一人も出てきませんでした。4月に人質事件があった時も、大使館員は出てこず、警備員が連絡先の電話番号だけ渡したそうです。
外務省の中に邦人保護課というものができました。そこで働いている人達はよくやっています。外務省の末端で働いている人達の中には心ある人がいることも事実です。ただ海外で現地の大使館員の邦人保護の姿勢はゼロに近いと感じています。諸外国の大使館と比べても自国民保護するという姿勢と意欲は日本の外交官達には非常に乏しいということです。外交官達は常に東京を向いて仕事をしているわけです。今回の人質の解放についても、イスラム聖職者協会のクベイシ師という人が重要な役割を果たしましたが、話を訊いてみても、日本大使館が解放のために何らかの影響を及ぼしたという話はありませんでした。
大使館は常日頃「外交」をやっていないから、このような事件が起きても何も手を打てないわけです。「外交」というものは「外と交わる」ことですが、日本の外交官達は「内交」なんです。特に東京と交わり、東京に忘れられては困るということを考えているみたいです。普段からイラクの人達と多方面に渡って交流していれば、こういう事件が起きた時にもすぐにアクションを起こせるわけです。しかし、今回の人質事件では全くアクションを起こせなかった。日本政府がやることと言えば、ヨルダンの国王やシリアの政府にお願いすることだけで、ファルージャからはとっても遠い話なんです。対策本部もヨルダンのアンマンに置かれていますが、バグダッドに置けよと思いますね。
ごく一部の良心的な外交官もいますが、大勢としては「内交」ばかりに目が向いているのが日本大使館の現状ですね。そういう日本政府に「自己責任」なんて言われる筋合いは全くない。小泉首相も「人質解放のために政府のどれだけの人が汗を流したか」と言っていましたが、「つべこべ言わずにやれよ。たかが一週間や二週間のことで恩着せがましく言うなよ」と思います。日本大使館の大使の年収というのは2500万円〜3000万円で、退職後も外交官達は天下りをしたり、外郭団体で2,3年毎に高額の退職金をもらいながらお金を貯めているんです。僕が言いたいのは「金をもらっている分だけ働けよ」ということだけです。少なくとも我々は自分のお金で行って、自分の責任において行動しているわけです。
今回の橋田さんの事件で「自己責任」という言葉が政府から出てきていますが、政府からジャーナリストが「自己責任」の文脈で批判されているという国は聞いたことがない。欧米のジャーナリストたちに対しても恥ずかしい話です。
これは以下のシンポジウムでなされた野中章弘の発言をまとめたものです。
シンポジウム「自己責任論を巡って」
日時:5月30日 在日本韓国YMCA
パネリスト:
ジャーナリスト:野中章弘(アジアプレス)
NGO:吉岡達也(ピースボート共同代表)
司会兼:西野瑠美子(VAWW-NET Japan共同代表)
主催:WORLD PEACE NOW 実行委員会



