今から1ヶ月前のことだ。バグダッド市内の路上でGMC(大型バン)に乗っていた白人男性が4人の男に銃をつきつけられ、車で連れ去られる現場を目撃した。わずか30秒ほどの出来事だった。GMCバンの運転手によると、ヨルダンのアンマンから陸路でバグダッドに到着したばかりのアメリカ人の民間人だったという。
私と一緒にいたアジアプレスの坂本卓が、この誘拐の瞬間を撮影していた。誘拐の瞬間映像は、日本のメディアに配信された。しかし、日本国外での配信はストップすることにした。映像には、犯人の顔が映っていた。これらの映像が衛星テレビなどを通してイラクで放映された場合、犯人がそのアメリカ人に危害を加える可能性が考えられた。
その後、イラク警察が現場に到着、捜査をはじめたということだったが、CPA(連合国暫定当局)からは、アメリカ人の安否について何の発表もなかった。
(写真右:ショーンさんが拉致される瞬間。拳銃をもった男たちが、ショーンさんを乗用車のトランクに押し込み、走り去った。(撮影:坂本卓))
「彼は今どうしているのだろうか」眠れない日が続いた。
それから約2週間後。
「誘拐されたあのアメリカ人に会いましたよ」共同通信バグダッド支局の記者から連絡が入った。記者は、取材先で本人に偶然出会ったのだという。
誘拐されたのは、アメリカ人フリージャーナリスト、ショーン・レムジーさん(41)だった。アメリカの地方紙の特派員としてはじめてイラクを訪れ、事件に巻き込まれた。
拉致され、連れて行かれた場所は民家で、覆面をした犯人がショーンさんを前に声明を読み上げてビデオ撮影までしたという。
かつてモスクワに住んでいたことのあるショーンさんは、「自分はロシア人」と、ロシア語のなまりの英語を話しながら犯人に訴えた。すると犯人のなかに、カタコトのロシア語を話す人がいた。パスポートなど身分が分かるものはGMCバンの中に置いてきていたことも幸いした。およそ2時間後に解放され、CPAに一時保護された。

(写真右:アブグレイブ収容所前で取材するショーンさん。(撮影:玉本英子))
日本政府の対応と違ったのは、駐留米軍当局者がショーンさんに本国帰国を強くすすめたものの、最終的には本人の意向を尊重して、彼はイラクに留まり取材を継続することができたということだ。
「犯人は教師、エンジニアなど普通の人たちだった。しかし、自分がアメリカ人と分かれ殺されていたかもしれない」とショーンさんは語る。所持品はとられず、すべて返還されたという。
2日後、私たちは一緒に、米兵によるイラク人虐待が報じられるアブグレイブ収容所に向かった。誘拐犯がアブグレイブ収容所の虐待について話していたため、ぜひ訪れてみたかったのだという。
収容所の入り口では、気温40度の暑さのなか、収容者との面会を待つ家族たちが列をなしている。
人びとはショーンさんのまわりにやってきて、「あんたは何人なのか」と聞いていた。彼は笑顔で「ロシア人です。モスクワから来ました」と答え、取材をはじめた。
しかし、帰りの車の中で彼はぽつりと言った。
「僕はアメリカ人だけど、この占領に反対している。でも今のイラクではアメリカ人とは言えない。それがつらい」
私たち日本人も、自分が日本人とは言えない状況になっている。
アブグレイブ収容所の前でイラク人の若者たちに、「中国人ですか?」と私は聞かれた。一瞬ためらいながら、「はい、そうです」と答えてしまった。
ウソはつきたくない、でも今のイラクではどうしようもない。自国政府が米軍の占領統治に協力している国々のジャーナリストたちに重くのしかかる。
その後、ショーンさんはイラクを出国した。
取材の資金が切れたことと、同じく誘拐されていたアメリカ人が首を切断され惨殺されたというニュースが報道され、ロシア人の人質も殺害されたからだという。
「アメリカに戻ったら、自分の体験を通して、米軍によるイラク占領の実態をアメリカ人に伝えたい。必ずまたイラクに戻ってくる」ショーンさんはそう最後に話した。



