中朝国境であるおばあちゃんと出会った。古着を着て、顔も真っ黒に焼けている。観光客が多いここで、物乞いをしているように見えるおばあちゃんは、私たちに朝鮮語で話しかけてきた。
「韓国人ですか?私の故郷は全羅道です。数年前、夫も亡くなり、子供もいません。生活が苦しいので、助けてください。私たちは同じ民族でしょう」
上品なしゃべり方をした彼女に小銭を渡した。でも、おばあちゃんの話は終わらない。
「日本植民地時代に食べ物がなくて、ここまで来ました。初めてここに来たときは何もなかったですよ。今見えている畑や田んぼは全部私たち朝鮮人が作ったんです」と自慢するように言う。
私と同行したMさんにおばあちゃんの話を日本語で通訳したら、彼女はいきなり「18歳の時、ここに来てから、今年で84歳になりました。太平洋戦争が終わって、故郷に帰りたかったですが、出来ませんでした。あなたは日本のどこから来ましたか」と日本語で話し始めた。
「東京です。おばあちゃん、日本語うまいですね」
「昔、学校で習いましたよ。忘れてしまって今はあまりできません」
続いておばあちゃんは、「日本植民地時代は大変でしたよ…」と過去を振り返った。
おばあちゃんの日本語はちゃんとしている。発音も正確で、ゆっくり話していた。そんなおばあさんにMさんは、「申し訳ございません」と言った。
謝ることはないかもしれないが、思わずそんな言葉が出てしまったようだ。
「いや、いや、今は日本と仲良くしないといけないです。韓国も中国も朝鮮もみんな仲良くしましょうね」とMさんの手を握った。
「こんなかわいそうな私を助けてくださってありがとうございます。日本に帰るまであなたたちに幸運があるように祈ります」とおばあさんは私たちに頭を下げた。
おばあちゃんの後姿を見ながら、なぜ小さい朝鮮という国は2つに分かれてしまったのか。なぜ日本の在日、中国の朝鮮族、ロシアの高麗人として、ちりぢりに生きなければならないか、心が痛んだ。
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| 図們大橋。あの橋を渡ると北朝鮮である | 図們大橋の中央部に書いてある辺境線。観光客が行けるのはここまで |
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| おばあちゃんと出会った図們の国境ゲート | 中国から見える北朝鮮の村 |
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| 中朝国境を流れる豆満江で洗濯をしている北朝鮮のおばさん。川といっても、狭いところは幅が1mもない | 朝鮮冷麺。高級冷麺だが、高級といっても量が多いだけ。普通8元。高級15元 |
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| 延吉名物の犬肉。鍋にして食べる。味はまあまあ | 延辺朝鮮族自治州らしく、町のカンパンは漢字とハングルが共有で表記している |
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| 発展した延吉市内だが、まだ横断歩道と信号灯は少ない | きわどい水道工事現場 (延吉市内で撮影) |
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| 韓国や日本では見られないロバがまだ延辺には残っている。 |















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