文:加峯 尋
チベット自治区の東どなりに位置する青海省の省都・西寧(人口約90万人)に来た。いままでに何度か、ここを拠点にしてチベット・アムド地域の取材をしている。雲南省や新疆ウイグル自治区ほどではないが、とにかく北京から遠い。寝台列車で約25時間。二年前に初めて来たときは36時間だったから、鉄道会社の努力か、これでもずいぶんはやくなってはいる。
外資系企業などあるとは到底思えないこの街に、なぜか西洋人の姿が目立つ。旅行者ではなく、バギーカーに赤ん坊をのせていたり、スーパーで日用品を大量に購入していたりと、明らかにここに住んでいる風情の人びとだ。
「あ、それはミッショナリー(キリスト教の宣教師)だよ」
英語の上手なチベット族の友だちが教えてくれた。大学生の彼女が放課後通っている英会話学校は、キリスト教系の教会が運営している。
「最初は知らなかったんだけど、あるときパーティに呼ばれて行ったら、『ジーザス』についてのビデオを見せられたり、聖書についてのお話を聞かされたりしたからわかったの」
彼女は、チベット族の例にもれず、敬虔な仏教徒だ。
「逆にたくさん質問することにしてるの。うなずくと肯定することになると思って。改宗する気はないけど、知識として知る分にはいいでしょ。まあ、彼らも『あなたがキリスト教徒でも、仏教徒でも、私たちはあなたを愛します』と言ってくれたし、私もあの人たち好きだし。別にいいんじゃない」
西寧には、漢族・回族・チベット族などが暮らすが、
「イスラム教徒の回族はともかく、不思議と漢族をまったくターゲットにしない。チベット族だけ、布教の対象にしているみたいだ」
と、別のチベット族の男性が話す。
「家族も含めると、400人ぐらい派遣されてきていると聞いた。アメリカ人、イギリス人、オーストラリア人、いろいろ来てる」
ビザはどうなっているか不明だが、彼の知りあいの宣教師の例では、街の大学に在籍するかたちで、学生ビザを利用して滞在しているという。ちなみに、この男性も前述の女の子と同じ英語学校に通っている。
「ぼくは教材の例文を見ただけで、すぐミッショナリーだってわかったよ」
つまり、道徳的なものや「創造主」に関する例文が多い。
「いろいろ英語の質問があって、これもすごく道徳的なんだ。こういう場合、友人とけんかしますか?とか。で、選択肢のなかでひとつだけ、倫理的な正解がある。笑っちゃうのは、チベット仏教もキリスト教も倫理的な教えの面でほとんど違いはないから、チベット族は全員、全問正解しちゃうんだ」
――じゃ、布教は成功すると思う?
「絶対に無理だよ。彼らには悪いけど。中国共産党が、この50年、ありとあらゆる手を使って、ぼくたちに仏教の信仰をやめさせようとしてきた。本当に、ありとあらゆる手を使ってだよ。それでも無理だったんだ」
私は急に、川崎の放送ライブラリーで観た古いテレビ・ドキュメンタリーを思い出した。70年代末か80年代初めに、日本のテレビカメラとして初めてチベット自治区に入って撮った番組だ。「素晴らしき世界旅行」シリーズだったと思う。画面はラサのジョカン寺の前で五体投地する人びとを映し出しながら、「私たちはここに来るまでは、文化大革命のあとで、まさかこのような光景を見ることができるとは期待していませんでした。チベットの人びとの信仰の強さに、感動しました」というようなことを語っていた。そのときのテレビ・クルーの驚きと感激は、私にも想像できる。
「仏教は、ぼくたちの文字通りすべてなんだ。改宗したら、村にも、友人のあいだや家族のなかにさえも、居場所なんかない。自分の属する社会的空間を、すべて失ってしまう」
ところで、この男性は、最近、キリスト教系の団体と契約を結び、アメリカ人の宣教師たちにチベット語を教えることになった。
「おい、いいのか、彼らはミッショナリーだぞ、って言ってくる友だちもいるけど。給料をくれる限り、ぼくには文句はないって公言してるよ」
――キリスト教の布教活動を助けることになるとは思わない?
「さっきも言ったけど、布教は絶対、うまくいかないから。そこらへん、安心してるんだ。ぼくがチベット語をアメリカの宣教師に教えたぐらいで、結果は変わらない。チベットの人間は、やっぱり仏教を信じ続けるだろう。これはカルマだよ。誰にも動かせない。結果が同じなら、ぼくが給料をもらう」
ちょっと変な感じの論理だが、彼は本気だ。カルマは仏教用語で、業、因果などと訳せばいいだろうか。出会ったのは「カルマ」だから、と言って家に泊めて手厚くもてなしてくれた人もいた。出会ったのは「カルマ」だから、と言ってなぜか愛を告白されたこともあった。「カルマ」だから、と言って中国共産党の支配を受け入れざるを得ないと考える人もなかにはいる。チベットの人たちがこの「カルマ」を持ち出すときの表情の、よくも悪くも「揺るぎのなさ」とでも呼ぶべきものの前で、信仰なき魂を抱えた私は、しばしば言葉を失う。




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