リムジンガンのご案内

ico_new.gif北朝鮮―「スリッパじゃなくて新式のサンダルです!」[民衆の暮らし] リムジンガン
細身のパンツに厚底サンダルを履いて、体の線を強調した格好の一人の少女が、市内に向う通りで、女性同盟の糾察隊に引っかかった…

ico_new.gif北朝鮮―「私は政治犯収容所に10年いた」 リムジンガン
北倉(プクチャン)18号管理所出所者の証言 8
「18号管理所」は企業所?(承前)
「管理所」内にある「無報酬」とは、文字通り、報酬なしの懲罰的強制労働をさせる機関のことだ。そこに私も二回入れられことがあるが、人を殺すためにあるような恐ろしい場所だ…

ico_new.gif北朝鮮―またも始まった市場の「抑制」 解説5 リムジンガン
07年「市場抑制」はいったい何を意味するのか 5
市場を食い物にする特権集団
ここで、現在の「市場抑制」を考える上で、いくつかの点に留意しておく必要がある…

ico_new.gif北朝鮮―中国産の化学調味料を使うとなぜ虫がわくのか 1[事件・事故]リムジンガン
ジャンマダン(市場)では、しばしば「有害な中国製品が見つかった」ということで中国製品の販売禁止令が出される。しかし、まるで恒例行事になっているともいえるこのおかしな現象について、政府は中国政府と協力して解明するという気はないようだ…

ico_new.gif北朝鮮―またも始まった市場の「抑制」 解説4 リムジンガン
07年「市場抑制」はいったい何を意味するのか 4
八〇年代以降 外貨調達の肥大と計画経済の破綻
一九八〇年代に入り、社会主義国家陣営に改革開放の風が吹き、従来の社会主義市場は大いに変質した…

電気料金「ちらっと」払うよ [ジョーク] リムジンガン
ある地区での出来事だ。
月末になるというのに、その月の電気使用料を払わない家があって、人民班長は困りきっていた…

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少林寺拳法グループ総裁・宗由貴 自分らしく生きたい 第1回

「開祖と娘〜戦争は絶対にしちゃいけない〜」

 宗由貴さんと初めて会ってからもう16年。縁があり、彼女と一緒に中国の万人杭(旧日本軍の住民虐殺の跡)やタイ、ソマリアの難民キャンプを訪れた。「世界を見て視野を広げてもらおう」と計画された旅だった。
 由貴さんはその行程によく耐えたと思う。彼女は自分の目で見た社会のゆがみを自分の頭できちんと考えてみたい、という明確な意志を持っていた。私にはその芯の強さが印象的だった。
少林寺拳法は開祖の教えから、平和憲法を守り、戦争に反対するという立場をとっている。その理念を愚直に守り続ける宗由貴という人物に学ぶことは多い。
 なぜいま平和なのか。今回の対談では、少林寺拳法グループの総裁としての宗由貴だけではなく、「個」を磨いてきたひとりの女性としての宗由貴の思いを語ってもらった。
(野中章弘)

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【写真: 野中章弘×宗由貴】

野中
少林寺拳法の総裁という立場もあると思うのですけれども、今日は宗由貴(ソウ・ユウキ)ひとりの個人として、自分の今まで考えてきたこと、今の日本の社会や世界について考えてきたこと、人間と人間とのつながりについて考えてきたことなどをふまえて、二つの点で語っていただきたいと思います。ひとつは人間の生き方について、それからもうひとつは、私たちと今の社会のつながり方の問題などについてです。特に戦争、イラクやアフガニスタン、そのほかにも、世界でさまざまな争いごとが起きています。そういう現実社会、世界の中で我々はどういうふうに生きていけばよいのだろうか、ということについて由貴さんの率直な考え方を聞かせていただけたらと思っています。
まず由貴さんにとって父親、つまり少林寺拳法を開いた宗道臣(ソウ・ドウシン)氏の思い出から話をしていきましょうか。


私は娘として生まれたので当然ですけれども、父と娘という関係の中でいろいろな話を聞きながら育ってきました。22歳のときに突然父が亡くなって、組織を継がなければならないという事態に見舞われました。それから本当にいろんなことがありましたが、ごく最近になって、一番自分の力になっているものは何かなと考えると、それは、父親から聞かされてきた戦争体験の話だったのです。父は私に、当時経験したことを洗脳に近いぐらい繰り返し繰り返し話しました。それによって、私という人間ができているんだろうなと感じることがあって…。
やはり平和ということなんですよ。開祖である父は、平和じゃない時代を経験していました。それは戦争という意味と、それから幼いころ家庭的に非常に恵まれなかったというところです。経験してきたことを語ることによって、父が私に伝えたこと、それは戦争とか平和とかという次元ではありませんが、自分に生きる力がないといけない、という価値観です。これがないと、本当に自分に生きる力がないと、だれも守ってやれないということです。そんな思いと共に、幼少期を過ごしてきました。そういう中から常に、本当の意味での人間の強さとは何かとか、思いやりとは何かとか、そういうことにずっと問題意識を持って父は生きてきたのだと思います。

野中
考え続けていたわけですね。


父の成り立ちを振り返ってみると、戦争、そして大陸での経験があるんです。そういう歴史を経験してきたからこそ、戦争は絶対にしてはならない、という思いがあったのだと思います。突然出てきた価値観とかではなく、実体験をともなった意識ですよね。父は、私がもの心ついたときからその話を延々と、繰り返し繰り返し聞かせてきたのです。それがやっぱり私のベースになっているのだと思います。だから、少林寺拳法というのはこういうものだという価値観を、父の実体験を通して聞いてきたのです。多くの高段者の弟子たちと同じような形で聞いているというよりは、父と娘という関係の中で培われてきたものです。つまり、全く違う形で私は聞いてきたのです。少林寺拳法というのはこういうものだということをとらえてきたのです。それゆえ、その思いは自然と育っていたのではないかと思います。
ところが父が亡くなって、後継者に就任してみたら、いろいろな問題が生じてしまったのです。トップになって4年くらい経ったころ、組織に対して「何か違う」という違和感を覚えました。

父が言っていたことは、「二度と戦争はしちゃいけない。そのためにはやっぱり自立しなければいけないし、生きる力を持たないといけない。少林寺拳法は、その生きる力というものを人のために使える、人のことが考えられる、そういう人を育てるために始めたのだ」ということなのです。そういうことを父はたくさん言ってきていたんです。これは、書物にもなっています。

昭和22年に創始された少林寺拳法ですが、組織として急速に大きくなるのが(昭和)40年を過ぎてからになります。ちょうど日本の高度経済成長期と同じ時期なのです。こういう言い方をすると誤解を招くかも知れませんが、少林寺拳法を普通の武道のように競技性を重視したスポーツとして捉える傾向や、魅力的な技術を中心とした少林寺拳法の「楽しみ」というところに価値観をおく人が増えたんです。そこに「教え」があるとか、「目的がある」と言っても、それを「痛みとともに理解」するという感覚が薄いような…。それは少林寺拳法に携わっている人だけに限らないことなのですが、父のように本当に心を痛めて、心臓が痛いと思うほどのことをたくさん感じる部分というか、そういう思いを持っている人というのはすごく少なくなっているのではないか。そんな危機感を感じているのです。
(続く)


宗由貴(そう・ゆうき)
1957年、香川県生まれ。1980年、少林寺拳法の創始者である、父・宗道臣の後を継ぎ、少林寺師家第2世宗道臣を襲名。2000年、少林寺拳法グループ総裁に就任。


yoshida_side.gif yoshida_side.gif yanagimoto_APN__banner005.gif ogura_side.gif ooba_APN_banner004.gif sakamoto_side.jpg tamamoto_side.gif sakamoto_side.jpg 戦争の現場から リムジンガン

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