
朝6時40分。取材のときは目覚まし時計がなくても緊張感で自然と眼が覚める。温かいシャワーを浴びてから1階の食堂で朝食。約束の8時を少し過ぎた頃、中国メンバーの墨緑が来た。タクシーで北京郊外の盧溝橋へ。運ちゃんは「昨日の雪で路面が凍り、郊外は危ない」という。「行けるところまで」と頼んで走り出したら、何のことはない、30分ほどで着いてしまった。「北京の運転手は雪に慣れていないから、怖がってダメね」とハルビン生まれの墨緑.
盧溝橋は1937年7月7日、日本軍の全面的な中国侵略が始まった場所。朝が早いせいか、ほとんど人通りなし。橋のそばの小汚い食堂で「野中の眼」の原稿を考える。
墨緑にビデオを持たせて橋の上で「野中の眼」の収録。チラチラ雪の舞う中、5,6回失敗した後、なんとか話を収めた。途中、凍りついた路面で転ぶ。
収録後、近くの抗日記念館へ。1931年9月(満州事変)から1945年8月までの中国側の死傷者は3500万人とある。このあたりの数字の根拠には疑問を持ちつつ、それでも大変な数の人々が犠牲となったことを改めて確認。
12時、北京へ戻り、骨董街へ。毛沢東バッジの買い付け(?)を行う。10年ほど前から毛バッジの収集に少し凝っている。ただここにはあんまりいいものはなかった。バッジを5、6個、中国語と英語版の毛沢東語録、毛沢東と林彪の絵柄のペン刺し、紅衛兵が毛語録を振る図柄の目覚まし時計など、ガラクタ同然のものを買う。全部で130元(約1800円ほど)。後でもうひとりの中国人メンバー・路生に見せたら、思いっきりバカにされた。「こんなもの、せいぜい 50元。日本人は吹っかけられるからねぇ」。
2時より、天安門広場近くの北京ダック専門店で昼食。ここは海部首相も来店したという老舗だが、味はバツ。「北京ダック」とはいえ、バンコクあたりの専門店の方がよほどうまい。だいたい器も紙のペラペラで、これじゃ「北京ダック」のマグドナルド。
墨緑の中学、高校(ハルビン)の同級生も呼ぶ。彼女曰く、中学時代の墨緑は文学少女で学校はよく休んでいたらしい。男にはもてず、女友達に人気があったという。さもありなん。北京の大学時代は、夜中、寄宿舎を抜け出し、酒屋で酒を飲んでいたという証言もあり、社会主義的品行方正さには著しく欠けていたらしい。まぁ、どこでもドキュメンタリーを撮る人間というのは、性格的には何かしら「欠陥」をもつ。
4時から路生とNHKドキュメンタリー企画の打ち合わせ。日本で修理するため故障した編集機を預かる。
7時より、旧知の北京特派員と会食。中国のメディア事情やら北朝鮮やら、いろいろ議論。いずれにせよ、日本のテレビ、新聞は、中国当局の不興を買うことを怖れ、中朝国境の脱北者の取材などはやりたがらないらしい。これじゃ、中国当局になめられるのも無理はない。この辺がBBCやCNNと比べて情けないところ。
特派員と別れた後、知り合いの中央テレビ局の女性ディレクターに連絡をとるもつながらず。彼女は第2次世界大戦のとき、日本に連行された中国人のドラマを放映したばかり。大変な労作で評判になったらしい。対日関係に配慮する当局の検閲を受け、1年間ナレーションなどを細かくチェック。「反日」も「抗日」も「親日」も中国ではいろいろややこしい。
少し溜まっていた原稿に手を付けるも、集中できず。2時にベッドへもぐる。
(12月23日)
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| ホテルの前の裏通り。開発されておらず、昔の北京の風情が残っている | 盧溝橋。橋の長さは約260メートル。1192年に完成したという名橋 |
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| 中国人民抗日戦争記念館 | 北京の骨董市 |
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| 毛沢東バッジ。値段は5〜10元(1元約14円)。文化大革命以前に製造されたものが価値が高い | この目覚まし時計は、みやげ物用に新しく製造したもの。30〜100元ほど。私は50元で買わされた |
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| 毛沢東語録。英語・中国語両方掲載されており、これで30元 | ダックをさばく手さばきは鮮やか |
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| 昼間はランチの客で一杯 | これで200元なり |
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| 東北地方の家庭料理。卵とトマトのスープに麦の粒が入っており、食欲のないときでも食べやすい。12元。 | 滞在中、日本のニュースを一面トップに掲げた新聞。記事の内容は自衛隊、新防衛大綱など、日本の動向への関心は高い |















