rimjingang-No2-hs-s.jpg
季刊誌 北朝鮮内部からの通信〜リムジンガン 第2号・夏号
ご注文はこちらへ


ico_new.gif北朝鮮―映像取材ルポ 平安北道朔州(サクジュ)郡を行く 2 リムジンガン
[解説]辺境の軍需産業都市は寂獏としていた(承前)
実際に訪れて見てみると、金正日の論文で強調されていた、こぢんまりして上品な地方産業は影が薄く第二経済委員会傘下にあり、大口径の曲射砲を生産する…

ico_new.gif偽ドル[北朝鮮のことば] リムジンガン
平壌市の黄金原(ファングムボル)駅とキョンフン通り周辺の外貨商店(外貨でのみ販売する店)も、すっかり夜の闇に包まれた。いつしか人影も途絶え、もう両替をしに来る客もいそうにない…

ico_new.gif北朝鮮―「私は政治犯収容所に10年いた」 リムジンガン
北倉(プクチャン)18号管理所出所者の証言 12
「第18号管理所」事件
 ●事件の発端「申訴事件」(承前)
申訴者を放っておいたら自分たちが危ないということをよく知っているXの一派は、検閲員がテープを手に入れて平壌へと戻るやいなや…

ico_new.gif北朝鮮―「表現の自由、言論の解放が必要です」[若者の声] リムジンガン
23歳青年が考える祖国の発展の条件 1
朝鮮北部で暮らすキム・ギファン(仮名、二〇〇八年七月現在二三歳)は、中学生だった一八歳の時に金属の売買をしていたが、これが違法行為として保安署に逮捕され…

ico_new.gif北朝鮮経済官僚極秘インタビュー リムジンガン
我が国の経済動向 12
外の世界の知識や情報の欠如
今日の経済的な問題点は、言論や学問の自由がないことに帰結するのだろうか?
ケ・ミョンビン:現在明らかなことは、国内経済難の打開も改革も…

もっと見る

イラン大統領選挙リポート『革命から26年・イラン人の選択』 1    文・大村一郎

イラン革命から26年。これまでの改革路線を踏まえ、イラン国民は何を想い、何を選択したのか。イラン在住の大村からのイラン大統領選挙ルポ。

1《選挙戦のハードル》

支持者に囲まれるキャルビ候補。内務省選挙本部での立候補登録で
 6月15日、テヘラン市街中心部にあるテヘラン大学スタジアムで、改革派のモスタフィ・モーイン候補(56)の集会が開かれた。
 モーイン候補は、かつてハタミ政権で科学技術相を勤めたが、ハタミ政権の保守派への妥協的な政策に抗議して辞任している。自由と民主化、男女同権、政治犯の釈放、そして憲法改正にまで踏み込む急進的な改革派として、現体制に不満を抱く階層から支持を得ている。イランの人口構成は25歳以下が5割、30歳以下ともなると7割を占める。1979年のイラン革命を知らず、革命の理念などどこ吹く風の若者にとって、政教一致のイスラム体制は窮屈なものでしかない。モーイン候補の選挙戦はこうした若い世代をターゲットに得票を伸ばそうとしていた。
 スタジアムの周囲は交通規制が敷かれ、治安部隊や警官が厳重な警備にあたるなか、支持者が列を成してスタジアムへと向かう。若者、特に女性の姿がやはり目立つ。モーイン候補の選挙スローガン『ふるさとよ、もう一度おまえを建設する』の鉢巻を締めた支持者で2万5千人収容のスタジアムは徐々に埋まりつつあり、これからサッカーの試合でも始まるかのような熱気につつまれていた。投票日を二日後に控え、これがモーイン候補の最大にして最後の選挙集会である。ここまでにいたる道のりは決して平坦ではなかった。
 イランの選挙でしばしば取りざたされるのが護憲評議会の資格審査である。護憲評議会とは、国会から選ばれた法律家6人と最高指導者(現在はアリ・ハメネイ師)の裁量で選ばれた聖職者6人、計12人で構成される評議会で、国会で承認された法案をイスラム憲法に照らし合わせて審議し、拒否したり、国会に差し戻す権限を持つ。また、各種選挙の立候補者の事前審査も行い、信仰心や現体制への忠誠度の如何によって、その資格を剥奪する権利も有する。2004年の第7回国会選挙では80名以上の現職改革派議員の立候補資格を剥奪し、その結果多くの改革派議員や改革を支持する国民が選挙をボイコットして保守派が「大勝利」したことは記憶に新しい。
 そして今回の第9代大統領選挙も例外ではなかった。5月10日から14日にかけて行われた立候補申請に全国から1014人(内女性89人)もの届出があったが、護憲評議会の審査に通ったのはわずかに6人、そのなかにモーイン候補は含まれていなかったのである。
 審査を通った6人のうち改革派の候補者は、保守派に妥協的との批判もある前国会議長のメフディ・キャルビ師(68)だけで、あとは前大統領アキバル・ハシェミ・ラフサンジャニ師(71)を除けば保守派で固められていた。改革派陣営から批判が噴出したのは言うまでもない。モーイン候補を推薦した改革派最大政党イラン・イスラム参加戦線は、モーイン氏の立候補資格剥奪の根拠を早急に示すよう護憲評議会に強く要求した。

 こうした批判を受けて、翌23日、ハッダード・アーデル現国会議長が資格審査の再考を護憲評議会に促すよう、最高指導者アリ・ハメネイ師に嘆願。ハメネイ師の要請を受け、24日、護憲評議会はモーイン氏とモフセン・メフラリザーデ副大統領(49)の2名に選挙戦出馬資格を与えることをしぶしぶ承諾したのだった。
 モーイン氏の出馬資格剥奪がハメネイ師の鶴の一声で覆された背景には、国民に失望感が広がるのを食い止め、これ以上の投票率悪化を防ぎたいとのラフサンジャニ師や一部の当局者の思惑があったものと思われる。しかし、このモーイン氏の復活劇が、のちのち改革派陣営に取り返しのつかない痛手をこうむらせるのである。


2《保守派の面々》
 こうして保守派4人と改革派3人、両派の中間に身を置くラフサンジャニ師の計8人による公式選挙活動が25日、スタートした。
 保守派4人は以下の通りである。マフムード・アフマディネジャード現テヘラン市長(49)、アリ・ラリジャーニ前国営放送総裁(48)、モフセン・レザイ公益評議会書記、兼革命防衛隊司令官(51)、最後にモハンマドバーケル・カリバフ前警察長官(44)である。
 保守派内で設立された調整委員会はこれまで再三にわたり、4人のなかから統一候補を擁立しようと試みていた。なぜなら、この4人のなかから大統領が選ばれ、改革派からの大統領誕生を阻止するのが至上命題だからだ。保守派はバスィジ(動員予備軍、つまり保守派傘下の民兵組織)や革命防衛軍、宗教諸財団、またそれらが運営する企業などの関係者を含め、全人口の1割にあたる約700万人の組織票を有していると言われる。4人もの候補が乱立しては、せっかくの組織票が意味をなさない。
 ところが、保守4人組の足並みはまったく揃わず、統一候補擁立は難航した。4人とも革命防衛隊出身で、年齢も近く、多感な20代前後でイラン革命を経験しているなどの共通点からか、「あいつが降りないなら俺も降りない」という意地の張り合いが多々見受けられた。選挙へのスタンス、政策なども微妙に違っており、アフマディネジャード氏は故ホメイニ師の再来を思わせる原理主義的理想を掲げ、ラリジャーニ氏はイスラム回帰に重点を置きながらも幾分ソフトなイメージを、レザイ氏は現職が革命防衛隊司令官だけありタカ派的発言を好み、カリバフ氏は自らを『実践主義者』であり『改革をもたらす保守』と形容するなど政策面では他の3者よりリベラルな発言が目立った。
 保守派が統一候補への合意を見ないまま、正式立候補届出期間がはじまる5月10日を迎えた。そこへ満を辞して現れたのがラフサンジャニ師であった。彼はそれまで各保守陣営から再三にわたり立候補を乞われながら、決断を先延ばしにしてきた。一方で国民には選挙への参加を強く促し、保守派各候補にはすみやかに統一候補を打ち立てるよう要請してきた。
 ラフサンジャニ師は1989年から97年まで2期大統領を務め、イラクとの8年戦争により疲弊した国内経済の建て直しに力を注いだ。しかし政治的民主化には関心が薄く、そのうえ一族そろって大金持ちで、収賄の噂も耐えない。そのため2000年の国会選挙ではテヘラン区から出馬したものの最下位ぎりぎりで当選を果たしている。当選結果に不満だったのかすぐに国会議員を辞職、公益評議会議長(最高指導者により任免)という要職に就任した。公益評議会は、国会で通った法案に護憲評議会が拒否権を発動し、国会との話し合いが紛糾した際、両者の調停役を果たすという役割を担っている。最高指導者の意思を色濃く反映した護憲評議会と、国民の意思を反映した行政府および立法府、この両者を調停し、ときに超越する立場にある公益評議会の議長職であるラフサンジャニ師は、明らかに大統領を凌ぐ権力を保持しており、敢えて再び大統領の座に就く必要はないように思われる。その彼がいよいよ立候補を表明した。
 「次の選挙では勝者は圧倒的な得票数で当選しなければならない」
 こうした発言から、自身が立候補するのであれば、高い投票率と圧倒的な得票数で当選を果たしたいという意向が伺える。先の国会選挙での苦い記憶からかもしれない。国民の信託を負った大統領として、欧米を相手に大きな駆け引きに乗り出すのでは、との憶測も見られた。


3《ボイコット派のねらい》
 こうして役者が揃い、5月25日、イラン全土で8人の候補による選挙運動が幕を開けた。テヘランには各候補の選挙本部と、主だった広場に選挙事務所が設置され、運動員は夜陰にまぎれて交通標識や公共施設にまでポスターを貼り始めた。テレビや新聞各紙でも投票日に向けた選挙企画が始まった。
 しかし、国民の関心はラフサンジャニ師の危惧を裏付けるものだった。
「投票?なんのために投票するのさ。もしするとしても投票用紙に横線一本引いて出してやるよ」。
 市街の警備にあたっていた徴兵の若者は吐き捨てる。
「どいつもこいつも嘘つきさ。せめて俺だけは嘘つきになりたくないからね」
 投票に行かないという人には、単なる無関心層と、積極的投票拒否者の2種類があった。後者はノーベル賞受賞者シリーン・エバディ女史をはじめ、人権活動家などが呼びかける投票ボイコットに賛同している。曰く、国民の信託を受けていない機関、役職がこの国の主権を握っている現状で、力のない大統領を選んでも意味がないというものだ。彼女たちの指す機関、役職とは、先に挙げた護憲評議会であり共益評議会であり専門家会議(選挙で選出されるがイスラム法学者に限られる)であり、国軍最高司令官(最高指導者により任免)、司法長官(最高指導者により任免)であり、また最高指導者自身(前途専門家会議で選出)である。
 しかしそもそも、この国の統治理念が国民主権ではなく、神権統治であるということかを理解しなければならないだろう。忽然と姿を消した第12代目イマームの再臨を待つ間、神の代理として聖職者がこの世を統治すべしというのが故ホメイニ師の革命思想であり、現在のイラン・イスラム共和国の根幹を成している(イランの国教であるイスラム教シーア派は、預言者モハムマドの血筋を重視し、モハムマドのいとこで娘婿のアリーを初代イマームとし、彼の直系を代々イマーム職として崇めてきた。イマームは11代目まですべてが暗殺され、多数派のスンニー派に対する反権力、反体制の象徴となった。10世紀半ばに12代目イマームは忽然と姿を消したが、それは人間には感知できない存在と化しただけであり、いつかこの世の悪を駆逐するため「再臨」すると信じられている)。
 積極的ボイコット派は、選挙での投票率を低下させることで、この国の統治者が国民の支持を得ていない、つまり合法的な統治者でないことを内外に明らかにし、国連をはじめとする諸外国に圧力をかけやすくし、最終的に国民主権を取り戻すのがねらいである。そこまでの事態に至らなくても、低い得票率で当選した大統領では、核交渉その他の席で欧米諸国に足元を見られる。ラフサンジャニ師がしきりに高い投票率と得票率にこだわるのはそのためだ。しかし、国営メディアの呼びかけにもかかわらず、国民の関心はいまだ高まる気配を見せなかった。