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季刊誌 北朝鮮内部からの通信〜リムジンガン 第2号・夏号
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ico_new.gif北朝鮮―「表現の自由、言論の解放が必要です」[若者の声] リムジンガン
23歳青年が考える祖国の発展の条件 2
中国のような改革を
リム 中国と聞いて思い浮かぶものは?
キム 中国は朝鮮と同じ社会主義国だが、特色ある社会主義国ということになっている。しかし、看板は社会主義国でも…

ico_new.gif北朝鮮経済官僚極秘インタビュー リムジンガン
我が国の経済動向 13
「人は飢えとは妥協できない」
ケ・ミョンビン:さて、その食糧専売制の結果はどうだったのか? それは食糧供給体制を、決して以前の「配給制」に戻そうとするものではなかった…

ico_new.gif北朝鮮―映像取材ルポ 平安北道朔州(サクジュ)郡を行く 2 リムジンガン
[解説]辺境の軍需産業都市は寂獏としていた(承前)
実際に訪れて見てみると、金正日の論文で強調されていた、こぢんまりして上品な地方産業は影が薄く第二経済委員会傘下にあり、大口径の曲射砲を生産する…

ico_new.gif偽ドル[北朝鮮のことば] リムジンガン
平壌市の黄金原(ファングムボル)駅とキョンフン通り周辺の外貨商店(外貨でのみ販売する店)も、すっかり夜の闇に包まれた。いつしか人影も途絶え、もう両替をしに来る客もいそうにない…

ico_new.gif北朝鮮―「私は政治犯収容所に10年いた」 リムジンガン
北倉(プクチャン)18号管理所出所者の証言 12
「第18号管理所」事件
 ●事件の発端「申訴事件」(承前)
申訴者を放っておいたら自分たちが危ないということをよく知っているXの一派は、検閲員がテープを手に入れて平壌へと戻るやいなや…

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イラン大統領選挙リポート『革命から26年・イラン人の選択』 2    文・大村一郎

イラン革命から26年。これまでの改革路線を踏まえ、イラン国民は何を想い、何を選択したのか。イラン在住の大村からのイラン大統領選挙ルポ。

4《ハタミ政権8年の成果》

『新しい思考、新しい政府、新しい政策』
『新しい風、イラン人の明るい明日のため』
『実践主義者、改革者』
『国民と、新しい言葉で』
 これらは改革派候補の選挙スローガンではない。上から順にレザイ、ラリジャーニ、カリバフ、アフマディネジャード各保守派候補のキャッチフレーズや選挙スローガンである。
 彼らの政策は、『生活水準の改善』『雇用創出』『腐敗撲滅』『社会正義』の4点が判で押したように共通しているが、原理保守派のアフマディネジャード氏を除けば、内閣への女性採用やアメリカとの関係改善、外資の積極的導入など、およそ保守派に似つかわしくない政策も掲げている。なかでもカリバフ候補は『あらゆる組織を〈改革〉し、政治的、個人的〈自由〉を保護する』とまで言い切る。
 あたかも改革派のようなこうした保守陣営の振る舞いに、当の改革派陣営は苛立ちを隠さず「国民を騙している」と非難する。しかし、裏を返せば保守派はこうした言説を唱えなければもはや選挙に勝てないという認識があるのだろう。先の国会選挙でも保守派は議席確保のため衛星アンテナの合法化やアメリカとの関係改善などを叫ばざるをえなかったという。
 ハタミ時代の8年では何も変わらなかった、というイラン人は多い。しかし果たして本当にそうだろうか。ラフサンジャニ内閣時代に初めてイランを訪れた筆者は、コミテと呼ばれる宗教警察が市民の生活をかぎまわり、欧米文化の流入阻止に当局が血道を上げているイランを見た。しかし10年経った今、若者は周囲をはばからず大音響でロックを聞き、テヘラン中心街の映画館では最新のハリウッド映画が上映される。路上で、公園で、婚姻関係にない若い男女が手をつなぎ語らう。「そんなものは本当の自由とは呼べない。本当の自由というのは……」と難しい話を始める政治青年もいるが、たわいもない日常の喜びすら禁止され、こそこそ隠れてやらなければならなかった時代の閉塞感や窮屈さが、ハタミ政権下でどれだけ緩和されたことか。
 イランの政治改革は、改革派が叫び、保守派がそれを握りつぶして自ら実行に移すと言われている。一見、改革派に力の限界があるように見えて、実はかれらの叫びが国民の意識を育て、のちのち保守派が実行に移さざるを得ない状況に追い込んでいるとは言えないだろうか。ハタミ時代の空気を吸ったものは、もはや時代が逆行してゆくことを許さないだろう。そして、不採算な国有企業の民営化、地下資源開発への積極的な外資導入、さらに選挙におけるより民主的なプロセスを謳った『選挙法改正法案』や、憲法における大統領の権限を保障する『大統領権限強化法案』(いずれの法案も護憲評議会により却下)の成立等、ハタミ時代が成しえなかった政治的、経済的改革を、いずれ保守派主導で進めていくことが予想される。

 こうした批判を受けて、翌23日、ハッダード・アーデル現国会議長が資格審査の再考を護憲評議会に促すよう、最高指導者アリ・ハメネイ師に嘆願。ハメネイ師の要請を受け、24日、護憲評議会はモーイン氏とモフセン・メフラリザーデ副大統領(49)の2名に選挙戦出馬資格を与えることをしぶしぶ承諾したのだった。
 モーイン氏の出馬資格剥奪がハメネイ師の鶴の一声で覆された背景には、国民に失望感が広がるのを食い止め、これ以上の投票率悪化を防ぎたいとのラフサンジャニ師や一部の当局者の思惑があったものと思われる。しかし、このモーイン氏の復活劇が、のちのち改革派陣営に取り返しのつかない痛手をこうむらせるのである。


5《キーパーソン》

ラフサンジャニ師のポスターに「大泥棒」の落書き
 選挙活動が始まる以前から、イランでは政党や新聞社、NGOなど様々な機関が世論調査を行い、立候補者の支持率を測ってきた。その結果はおおよそ似通ったもので、首位はラフサンジャニ師、2位を保守派のカリバフ候補と改革派モーイン候補が僅差で競うというものだ。しかし、首位のラフサンジャニ師が支持率30パーセントを越えることはなく、50パーセントの得票率がなければ当選できないことから、本番では1位と2位の決戦投票になるだろうと前々から予想されていた。
 保守派のなかで抜きん出た人気を博しているカリバフ候補は、警察関係者は政治活動を行えないという法律により、警察長官を辞任して立候補に及んだ。長官在任中は警察のイメージ改善に努め、イランで初めて婦人警官を採用している。いかなる派閥、政党にも属さず、右でも左でもない『実践主義者』であると自称。最有力候補であるラフザンジャニ師との対決姿勢を立候補当初から明確にしている点など、他の保守系候補者と一線を画してきた。
 カリバフ氏もモーイン氏も、最初の投票でラフサンジャニ師に勝つ見込みは薄い。しかし、決戦投票に及んだ場合、両者ともラフサンジャニ師の得票を上回る可能性が十二分にあった。というのは、決選投票になれば保守派700万の組織票がカリバフ氏に集中するの確実で、それに彼自身の人気票を加えればラフサンジャニ師を凌駕することも不可能ではない。モーイン氏の場合は、最初の投票をボイコットした層が決戦投票では重い腰を上げ、彼に一票を投じる可能性が高い。
 ある学生はモーイン氏への投票動機をこう語った。
「モーインははっきり言って大統領の器じゃない。どうせラフサンジャニが当選するよ。でも僕はモーインに入れる。ラフサンジャニに高い得票率で当選してほしくないんだ。だっておかしいと思わないか? 国会選挙で最下位ギリギリで当選したやつがどうして大統領になれるんだ?」

 ハタミ政権の改革が保守派の抵抗で実らなかったため、モーイン氏の改革路線にも懐疑的な若者は多い。それでもラフサンジャニ師よりは「マシ」と考える人はもっと多いに違いない。
 そのラフサンジャニ師は、選挙を意識してか最近めっきりリベラルな発言が多くなった。ニューヨーク・タイムズのインタビューに対しては、『イスラムの教義では、本来個人の生活の領域にまで踏み込んではいけない。人々の生活の秘密まで暴いてはいけない。人々は心の安寧と安全を感じ、追求できるというのがイスラムであるべきだ』と答え、AFPに対しては『衛星放送ともインターネットともたたかうことはできない(衛星放送合法化やネット検閲に言及したもの)』と答え、イランでも大きく報道された。いつしか改革派寄りの新聞はラフサンジャニ師を保守派候補とは離し、改革派候補の写真と同列に並べるようになっていた。
 もっとも彼の発言を鵜呑みにするほどイラン人はバカではない。イラン学生通信のインタビューで『国民はあなたのことを大富豪だと思っているようですが』と訊かれ、『わたしはコム(テヘラン南部の宗教都市)に小さな土地を持っているだけですよ』と平然と答えるタヌキぶりである。
 ただ、彼の経験と政治手腕だけは認めるという人は多い。自身のテクノクラートで石油省などを押さえているラフサンジャニ師は、地下資源開発や老朽化した石油施設のメンテナンスに対する外資の導入に積極的で、その点では経済自由化を求める改革派とともに、外資導入を嫌う保守派に対抗してきた。
 イラン経済は石油収入に頼りすぎており、そうした構造から脱却すべきなのは言うまでもない。しかし、その石油収入さえアメリカのイラン・リビア制裁法によって危機的状況を招いている。自国の技術だけでは油田開発は進まず、アメリカ製のパーツ無しでは老朽化した石油施設も修繕できない。そのため自国内で必要な石油まで精製する余裕がなく、原油を海外に売って、精製されたものを買っているという現状だ。
 アメリカの制裁は、イランへの航空機や部品の提供も禁止しており、日本やヨーロッパ諸国もアメリカ市場での制裁を恐れ、右に倣えを決め込んでいる。そのためイランは、老朽化した旅客機などの保守点検を海外で行い、闇市場での部品調達を余儀なくされている。国内線の航空機事故は多く、ハタミ大統領はこうしたアメリカの制裁措置は無辜な国民の命を奪うものだと強く非難している。WTOへの加盟申請も5月26日にようやく始まったが、これも過去9年にわたり23回もアメリカの拒否にあって実現しなかったものだ。
 アメリカとの関係改善は、ラフサンジャニ師だけでなくほとんどの候補が政策のひとつとして挙げているが、欧米が交渉相手と見込んでいるのはラフサンジャニ師ただ一人だろう。


6《モーイン陣営の闘い》
 『今回の参戦の主な目的は、自分たちの国が今どうなっているのか気づいていない50パーセントのイラン人を守るためである』
 モーイン氏と、その支持母体であるイラン・イスラム参加戦線やイスラム革命戦士協会は、投票ボイコットではなく、あくまで選挙で勝ち、現体制下つまり憲法の枠内で政治を変えてゆくことを選んだ。かれらの指摘するポイントは、投票ボイコット派と同様、選挙で選ばれない個人、機関へ権力が集中していることへの批判である。

モーイン支持集会を後にするイブラヒム・ヤズディ元外務大臣。人の輪で暴徒襲撃に備える若者たち
 『護憲評議会の干渉と、行政が法を実行できないことが憲法の抱える問題である』
 モーイン氏のこの発言は、ハタミ政権が断念した『大統領権限強化法案』の趣旨をまさしく受け継ぐものであるが、かれらは一歩進んで憲法のタブーにも言及する。
 『自分はイスラム憲法に忠誠を誓うが、それは憲法に意見を持っていないということではない。憲法にはあいまいな点がいくつかある。そのひとつに、大統領の権力範囲とその責務とのつり合いの問題がある』
 モーイン氏が〈急進的改革派〉と呼ばれる由縁は、イスラム憲法のタブーに果敢に挑戦するからだけでなく、『イラン国民は独裁者を必要としていない』などといった過激な発言にもよる。
 モーイン候補の支持集会でボランティアをしていたコンピューター技師の青年(29)はモーイン氏のこうした発言も支持すると言った。
 「宗教指導者は政治に関わらないでほしい。宗教的に暮らしたい人はそうし、そうでない人はそうする自由があるべきだ。父親たちの世代はイスラム革命の理念を望んだかもしれないが、俺たちは違うんだ」
 イランでは、名指しで最高指導者を非難することは禁止されている。しかし、『独裁者』が誰を指しているかは明白だ。モーイン支持者はその報いを共有しながらここまで闘ってきた。

 「みんな襲撃を恐れて早めに会場を出るのさ」
 スタジアム入口で警備にあたっていたボランティア(モーイン支持者はすべてボランティア)の会社員男性(39)は、演説半ばで出口へと向かう人の流れを指差して言った。これまでモーイン候補の支持集会はたびたび暴徒の襲撃を受け、頭蓋骨骨折の大怪我を負った支持者もいる。この会社員も一昨日路上で襲われ、足に痛々しい傷を負っていた。
 演説を終えたモーイン支持の有力者がスタジアムを去るときは、暴徒の襲撃から守るため、若者が手をつないで大きな人の輪でその有力者を囲って車まで送り届ける。
 「今はまだ安全だ。集会が終わって外へ出たら、気をつけた方がいい」
 スタジアムの外では無数の警官が警備についていたが、「やつらはあてにできない」という。
 モーイン候補の演説で集会が幕を下ろすと、観客席にいた支持者がグラウンドに降り、大騒ぎになった。かれらは手と手をつなぎ、気勢を上げる。誰かが歌い始めた歌が、いつしか大合唱に変わった。

「ヤーレ・ダベスターニー」を合唱するモーイン支持の若者
学友よ
君は僕らと共にある
鞭が僕らを打ち据え、嗚咽と痛みがこみ上げる 
黒板から僕と君の名は消されてしまった
不正と弾圧の手は残り、僕らの身には未開の荒地が広がるだけだ
僕らはみんな雑草だ
善人のままでは死んだも同然
僕と君の手でこのカーテンを引き裂かなくてはならない
僕と君以外の誰がこの痛みを癒せるというのか
学友よ

 『ヤーレ・ダベスターニー』という、革命前から若者たちに歌い継がれている歌で、今は反体制を象徴する歌となっている。警官が立ち入らないこのスタジアムのなかで、かれらはいつまでも繰り返し歌い続けた。
 スタジアムの外に出ると、治安部隊の兵士が警棒片手にずらっと待ち構えていた。その警棒は必ずしも暴徒襲撃に備えたものではないことがまもなく判明する。集会のあったスタジアムからまっすぐ南へ向かえばエンゲラーブ広場があり、その道は学生デモのお決まりのコースなのである。治安部隊は南へ向かう若者たちを途中の十字路でさえぎり、エンゲラーブ広場へ向わないよう左折を迫る。抵抗を示す者には容赦なく警棒が飛ぶ。そのたびに女学生が「治安部隊は味方!味方!」と声を揃える。
 この日、当選の可能性が薄いといわれた保守派のモフセン・レザイ候補が立候補を辞退した。残る7人の候補はそれぞれイラン全土に散らばり、最後の演説とともに長かった選挙運動に幕を下ろした。(続き)