石丸次郎が中国で出会った1人の北朝鮮人李ジュン。彼は北朝鮮の実情を世界に知らせるためにジャーナリストになることを志願した。そして、北朝鮮に密かに戻り、ビデオで祖国の姿を記録し始めた。
北朝鮮人ジャーナリスト、李ジュン氏が、05年5月に撮影した赤裸々な北朝鮮の様子をお伝えする。
○12月、厳寒の中での李ジュンとの再会
今冬最初の寒波が東アジアを覆った12月初旬、私は中国吉林省の延辺朝鮮族自治州に降り立った。粉雪が降り続くどんよりした悪天候。気温は昼で−5度、最低気温は−18度にも下がっていた。
厳冬期に入った延辺に私が向かったのは、ある北朝鮮人と会うためだった。名前は李ジュン。現在30代中盤の男性で、北朝鮮中部の○○道に住む労働者である。彼もまた、氷が浮かぶ国境の川・豆満江に、闇夜胸までつかりながら、中国に越境して来た。私に会うためであった。
私が初めて李ジュン氏に会ったのは3年前の2002年。彼は、90年代後半に北朝鮮全域を覆った大飢饉に翻弄され、家族を延命させる最後の手段として、中国に家族を連れて脱出した。そして李ジュン一家は中国各地を転々とする潜伏生活を続けることになる。02年、延辺地区で北朝鮮難民を取材中だった私は、偶然、李ジュン氏と出会いインタビューすることになった。
私を含めた少なくない外国人の記者が、北朝鮮の飢餓や人権問題に関心を持って取材していることに李ジュン氏は驚いた。なぜなら、北朝鮮の中に住んでいる人々の大半は、厳しい情報統制の中で、自らの苦境が国際的には孤立無援のものだと感じているからだ。
李ジュン氏は、私との何度かの接触の後、己の国と民衆のあまりの悲惨な現実を、もっと世界中に知って欲しい、知らせたいと考えるようになった。
もともと文章を書くことや写真を撮ることが好きだった李ジュン氏は、北朝鮮に戻って自分自身が伝える側=ジャーナリストになることを決心する。そして、職業としてのジャーナリストの基本事項=倫理や取材術、ビデオ撮影の基礎などを私と一緒に学び、03年春、北朝鮮に密かに戻ってジャーナリスト活動を始めたのだった。
今回公表するのは、李ジュン氏が今年5月に北朝鮮の広い地域で撮影したビデオ映像から起こした静止画と、12月初旬の北朝鮮の最新事情についてである。
郊外の山からハムギョン北道・清津市に通じる道を、延々薪を運ぶ農民たち。市場経済の拡大と農産物の収奪構造の中で、現在、もっとも困難に直面しているのは農民たちだという。現金を手に入れるために売るべきものが農産物しかないからだ。しかたなく、山に入って木を切り焚き物として都市住民に売って何とか生計を立てているのが実情だという。

李ジュン氏は撮影しながら近づきインタビューも試みている。農民たちは「20数キロの道のりをやってきた」「農村には食べ物もなく、清津の市場で薪を売ってトウモロコシを買う」と答える。リアカーを引く子供に学校に行かないのか?と問うと、横にいる母親は「食べ物も足りないのに何が学校だ」と答えた。
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清津駅前。列車を待つ人々のほとんどは駅構内の待合室に入れてもらえないため、駅前にたむろして列車を待つ。ベンチもないため地べたに座り込むしかない。
人の集まる所には商売人や物乞いのコッチェビ(ホームレス)たちが集まってくる。
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手持ち無沙汰な人たちを相手にした貸し本屋に並ぶ漫画。身分証と引き換えに貸してくれる。
一冊100ウォン(約4円)。
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晩になると駅前の姿は一変する。撮影されたのは今年5月初め。明け方は零度近くまで冷え込む。リヤカーの上に白いビニールが被せてあるのは、物ではなく人。家を持たない荷物引き労働者、いわばポーターたちだ。彼らはそれでも生産手段兼寝床があるからまだましだという。



