
【米国人記者ショーン・ラムジーさんが拉致される瞬間の映像。拳銃を持った4人組の男が黒の乗用車に米国人を押し込んで逃走した。2004年4月・撮影:坂本卓】
■誘拐の現場
2004年4月、私は米国人が武装集団に拉致される瞬間を目撃した。白昼、走行中のバンの車が割り込み急停車。車から4人組の男たちが現れる。拳銃をつきつけ、バンから男性を引きずり出し、すばやくトランクに押し込んで逃走した。わずか1分たらずのできごとだ。目の前での拉致に、まわりの人々はなすすべもない。現場周辺は5分ほど前に米軍の戦闘車両が巡回したばかり。拉致されたのは米国人。のちに、その米国人カメラマン、ショーン・ラムジーさんは無事解放され、私は彼と対面した。
拉致後、連れ込まれた民家で、銃を突き付けられた「声明ビデオ」まで撮影されたが、「自分はロシア人だ」と言い張ったという。自らをシーア派の反米武装勢力と名乗った誘拐グループは、誘拐行為は初めてだったらしく、ロシア大使館前で彼を解放した。ショーンさんは拘束中、拉致犯とコミュニケーションをとろうと努力したという。「食事でも、スポーツでもとにかく話題を見つけ、話しかけた」
拉致される瞬間の映像は、すぐに日本のテレビ局に送信し、各局のニュースでトップ扱いで放映されたが、日本国外への配信はいったんストップした。拉致犯の顔が鮮明に映っていたことなどもあり、いったん状況の推移を見てから外国配信の判断をすることにした。結果的に、これによってショーンさんの命は奪われずにすんだ。もし、「米国人記者拉致」と配信映像がアラブメディアなどで流れれば、ショーンさんがロシア人でなかったことが明らかになり、殺害されていた可能性もある。
ショーンさんは解放後、ただちにバグダッドの米軍基地で事情聴取を受けた。アメリカのイラク攻撃に批判的な立場で取材にやってきたショーンさんは、「占領に苦しむ人たちの気持ちを理解すれば、外国人誘拐もしかたない」と心情を伝えたが、「あなたは状況を理解していない」と米軍情報官に言われたという。元ロイター通信の記者で、取材経験豊富なショーンさんだが、イラク取材は初めてだった。外国人襲撃や拉致が相次いでいた時期、彼は「大丈夫さ」と、ひとりで街なかを出歩いた。私は複雑な気持ちになった。
武装勢力には交渉の余地すらない組織もあるうえに、誘拐が身代金目的なら、いかなる心情を持っていても関係はない。強盗集団が身代金交渉を有利に進めるために過激なイスラム組織の名前を語る場合さえある。

【写真;イスラム聖職者協会のクベイシ師が見せる声明。武装勢力に人質の即時解放を呼びかける一方、「英雄的な反占領の戦いに敬意を表する」とある。このコピーはいま、なんの効力も持たなくなったが、一応、いまも持ち歩いている。2004年4月・撮影:坂本卓】
2004年4月、日本人を含む外国人誘拐があいつぐなか、バグダッドで取材していた私は、イスラム聖職者協会が出した「外国の民間人は解放するように」という声明のコピーを持ち歩いていた。だが、いま、聖職者協会メンバーですら殺害される状況だ。そんな声明はなんの効力ももたなくなった。当初、米軍に加担している国の外国人以外は、誘拐されても釈放されることがあったが、現在、誘拐、殺害の対象は、外国人、イラク人を問わない。
外国人記者の身代金は数十万ドル、という噂が一般市民のあいだでも広がるようになった。
「外国人を見たら、僕だって誘拐してみようかと思うよ。目の前に現金がころがってるようなものだから」
イラク人の友人が言った冗談を、笑うことができない。いつ、誘拐されるか、狙われるか。そう怯える自分は、いつでもイラクを去ることができる。だが、外国に逃れる余裕のないイラクの市民は、この恐怖の只中で生活しなければならない。

【写真;解放後、拉致現場を再び訪れたショーンさん。2004年4月撮影】



