リムジンガンのご案内

ico_new.gif北朝鮮―自転車ばかりを狙う軍人強盗団 [事件・事故] リムジンガン
二〇〇六年一一月末、清津(チョンジン)市で自転車ばかりを専門的に強奪する強盗団があちこちで暗躍したため、保安員(警察官)が捜査に入った…

ico_new.gif北朝鮮―またも始まった市場の「抑制」 リムジンガン
「民衆はだんだん嫌になっています」2
「おばけのやりかた」
シム:市場ぐらいは大目に見て好きに商売させてくれればいいのに。そうすれば人々の苦痛も軽くなるだろうに…

ico_new.gif北朝鮮―女児強姦犯逮捕 [事件・事故] リムジンガン
二〇〇六年夏、清津市で二四歳の男による九歳の女の子への強姦事件が発生した。女の子はその日も友達と、近所にある廃屋の周りでかくれんぼをして遊んでいた。 夕方、このあたりでは見かけない男が…

ico_new.gif北朝鮮―「私は政治犯収容所に10年いた」 リムジンガン
北倉(プクチャン)18号管理所出所者の証言 9
「隊内民」たち
さて、わが家のあの冷凍機はどこに売られたのか? ジャンマダン(市場)は「管理所」の中にはない。店といえば…

ico_new.gif北朝鮮―またも始まった市場の「抑制」 リムジンガン
「民衆はだんだん嫌になっています」1
リムジンガン編集部は、二〇〇七年一〇月頃から始まった「市場抑制」に対する住民の反応の調査を計画した。このため、記者シム・ウィチョンは、一一月上旬、平壌に赴き…

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マツタケなら、オレのところへ来んさい 加峯尋

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 3000キロを大移動して、吉林省から雲南省にやってきた。
 ここで本来は、白(ペー)族という少数民族出身のダンサー、ヤン・リーピンに会うはずだった。5月に北京で観た彼女の舞踊公演『雲南映象』がすばらしかったので、雑誌のインタビュー企画を通してやってきたのだ。ところが、そのうちインタビューさせてもらう約束だけはだいぶ前にとりつけているものの、彼女はずっと全国公演中で暇なし。しかたないから、取材の周辺がためと自分に言い訳して、雲南をぷらぷらすることにした。

 納西(ナシ)族と呼ばれる少数民族がつくりあげた古都・麗江(リーチャン)で、マツタケ王に会った。改革・開放が始まるとまもなく、マツタケを日本などに輸出する商売で成功し、50代にさしかかったばかりですでに悠々自適、引退の身だ。ヤン・リーピンの古くからの友人でもある。

 「ヤン・リーピンに会うんじゃったら、去年に来いっちゅうんじゃ!」
  ――はあ。
 「去年、SARSで公演が全部キャンセルになったとき、どーれだけ大変だったか!『雲南映象』があたると、みんな急にちやほやしとる。まったく、アンタら新聞だとかテレビだとかやる人間っちゅうのは」
 会ったときにはすでにほろ酔い加減。テンションが高い。自宅の広い中庭のひじ掛け椅子にすわり、ナシ族なまりの中国語で、独演会が始まった。

 「えーか、この世には花がたくさん咲いとるわな。花のところにみんなで集まるのもええ。じゃけど、いい仕事っちゅうのは、花咲く前の、いい根っこを見つけることじゃないんかね」
 ――うう、おっしゃるとおりで。でも、私はまだ中国を歩き始めたばかりなんですよ。そのうち、この国をもっと理解できるようになって、自分で「根」を見つけることもできるにようになりたいですよ、そりゃ。
 「ま、そじゃな。がんばりや」
 ――ご商売は、おいくつのときに始められたんですか。
 「31。遅いスタートじゃわな。オレらのときは文化大革命があって、しばらく下放で山のなかに送られとったけえな。学問なんか、文化なんか、勉強なんかくそくらえという時代じゃったけえ、16のときに学校はやめざるをえんかった」
 ――続けたかったですか、勉強。
 「そーりゃ、続けたかったわ!めちゃ賢かったんじゃ、オレは!」

 「オレらの世代は、子供のときは大躍進とかあっていっつもお腹すかしとって、思春期になればなったで文革で、言ってみれば一番かわいそうな世代じゃわ。だけどまあ、振り返ってみれば失ったもののかわりに、得たものもあるんよ。こんなこと言ったら、なんでもそうかもしれんけどな。アンタの国はその点、戦争に敗けてからずっと教育に力を入れて、国を発展させた。そこらへんえらいと思うけど、それでも、得たもののかわりに失ったものも、けっこうあるんじゃないかね」
 マツタケ王の知っている日本語は「マツタケ」の一語だけだが、商売を通じた日本人との長いつきあいのなかで、この人なりの日本に対する理解と見方を培ってきたようだ。
 「ずいぶん稼がせてもらったよ。損もいっぱいしたけどな。商売人的に言うと、日本人のやりかたの問題はふたつかな。ひとつは、上から許可をもらうまでは動けんこと。スピードがもの言うことも多いからな。もうひとつは、古い関係に固執すること。まず日本人が昔からの知り合いの台湾ブローカーに頼んで、台湾ブローカーのそのまた知り合いの香港ブローカーに話しをしてもらい、それからやっとオレのところにくる、なんてこともよくあった。一対一でやれば、もうけも一番多いのにな」

 「ところで、アンタのその仕事ってのはどうなんかね」
 矛先がまたこっちに向いてきた。
 「うちの娘も、雇われ仕事でドキュメンタリーを撮るとか言ってバタバタしとったが、なんやらくたびれ損じゃわな」
 ――まあやっぱり、表現するってことは苦しいけど、他のものにかえられない楽しさがあるんじゃないんですかね。
 「そりゃそうじゃ。オレだって書道もする、文章も書く。踊りたいときは勝手に踊りもする!そりゃ楽しいわな。じゃけどな、カネのためにやるのはつまらんよ。とたんにつまらなくなる。カネ稼いで飯食うんだったら、商売が一番だ!」
 ――うーん、なんか説得力はありますが。
 「そうじゃろう。アンタ、日本でマツタケ売る気になったら、いつでもオレのところに連絡してきんさい。あんまりでかい商売は考えなくてええ。2万ドル、3万ドル規模で始めればええんじゃ。アンタがオレを信用し、オレがアンタを信用するなら、ブローカーなんて立てなくてええわな」
 ――ははは。ありがたく、考えさせていただきます。
 マツタケ王はどうやら、隠居の身が性に合わないらしい。また何かを始めたくて、とにかくうずうずしているのだった。
 (8月26日)

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麗江の朝ごはん。手前は涼粉(リャンフェン)と呼ば
れる、緑豆の粉でつくったところてんのような食べ物。
これを冷やしかためて麺状に切ったものは中国の
いろいろなところでみかけるが、熱涼粉といって熱々
に溶けた状態で「ババ」と呼ばれるしょっぱいパン
(写真奥)につけて食べるのは麗江ならでは。3元
(約45 円)。旅行者の増加で、物価があがってい
るそうだ。

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毎晩、古典音楽を演奏している「大研納西古楽会」。
都から遠く離れていたにもかかわらず麗江ははや
くから漢化が進み、その後、漢代の古楽がほかの
地域よりも完全なかたちで伝承されてきたという。
音楽以上に、文革を経て復活した、年老いた演奏
者たちのたたずまいに何となく感動。

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石畳の路地に水路が流れる麗江。屋根瓦の街並
みは少し日本の古い街を思い出させる。