私が北朝鮮を脱出した理由 第12回

清津駅前広場でたむろする人々。05年4月 李ジュン撮影
解放直後の1945年、北朝鮮の各地域に怖ろしい疫病が流行した。
それはコレラだった。
解放の喜びもつかの間、この怖い病魔に人々があちこちで倒れたが、ソ連駐屯軍は極東の政治だけに奔走して、住民の健康などには目も向けなかったらしい。
各地域で自主的に発足しつつあった自治会が懸命に頑張って、患者を隔離する一方、資産家らに訴えアヘンを収集して伝染を食い止めたそうだ。
ところが、その解放から50周年を迎えた1995年の夏、社会が大混乱し無秩序になると必ずはやるという不気味なコレラは、案の定北朝鮮をまた襲ったのだった。
すでに88年の夏に平壌で発生した“パラティフス”というわけの分らない消化器病が全国へと拡がっていったが、90年代半ばは、まず餓死者発生と栄養失調という足の甲に落ちてくる火の粉を消すのに精一杯で、伝染病のようなものに関心や金を回す余裕もなく、年々罹病率の増加で病院ごとに専門病棟が設置される程であった。
冬は冬で、異常な悪性感冒が流行った。民間では“辛い風邪”と呼ばれたこの病は、酷い粘膜の破壊出血と痛み、高い発熱を引き起こして、人間の脳に深刻な後遺症を残す。
後になってこの感冒は、あのパラティフス治療薬が効くとか言われ、“パラ風邪”と呼ばれるようになる。この病気は現在も収まっていない。
その高熱後遺症は深刻だった。幹部の人事では、二回この病に侵された者は、職を解かれるか、自ら辞退をするかの決定が下されようになった。
幹部やその候補たちは、必死にインプルエンザ治療薬を非常用として準備するようになった。
この様な状況は、医療制度がまともに機能しない上に、社会の無秩序と食糧不足による最悪の衛生状況によって生み出されたのであった。
エネルギー、水、およびせっけん・洗剤の不足はもちろんだったが、当時は用便に関する道徳心まで完全に<文明>を失ってしまっていた。
いろいろな家畜を狭い屋内で人と一緒に飼育することも当たり前になった。
そんな家では、食べ物までが調理されて市場で売られていくのだ。
一方、郊外の農場では市内の人糞を掻き集めてそのまま野菜畑に播いたり、豚の飼料にしたりして、その生産物を市場に持ち出して売った。
尿の臭いなど様々な悪臭が漂い、市場と鉄道の衛生状態は最悪だった。
鉄道駅は数少ない主要な公衆場所となった。物流の中心でもある駅が、同時に宿泊を求めて集中する放浪者たちが、他人の捨てた食べ物カスを拾い、さらに寝ることもできる唯一の生活拠点になっていた。
またさらに、毎日発見される縁故者のない死体も駅前には放置されていた。
蠅と南京虫、蚤などあらゆる害虫が、がむしゃらに人々を攻撃した。放浪者一名の体には普通数百、数千の虱が這い回った。こうして、人を経由する伝染病と害虫、寄生虫の循環回路がフル稼働して、国全体へ高速道路網のように構築された。
北朝鮮で知られていたコレラに対する個人予防法は比較的簡単なものだった。
一つは物理的殺菌法で沸かして水を飲むこと。だが水を加熱するエネルギーを解決するのが大変だったのだ。
他の一つは銀の殺菌効果の利用だが、高くてまた偽物が多かった。
そうして95年には、数多くの哀れな人々がコレラによる急速な重症脱水症で命を失った。
路上宿者になり果て、あるアパートの下の倉庫で暮らしていた私も、自殺未遂事件直後から、死の使者にいつも付きまとわれているのか、コレラに罹ってしまった。餓死から命拾いした私は、またも脱水による臨死体験を強いられた。
しかし今回は、意識を失わなかった。初めはただ突然の普通下痢だと思って、下痢止め薬を飲んでいたが、毎日私を訪ねてくる親友が、流行っているこの病気が、あの解放直後に発生した疫病のコレラで、今巷では大騒ぎだと教えてくれた。
非常識のせいか、不思議にも自然のこの病気には何の恐怖も感じなかった。
それよりも、コレラであることがばれると、ここからも追放されてしまうのではないかと、病気よりむしろ社会を最も恐れた。
医師である彼女は治療の方法や薬を教えてくれた。当時、中央の保健当局が国連保健機関に申告したのか、国家次元では外国の支援が届いていた。だが、その名も“急性下痢症”と命名し、隠蔽的に情報管理を徹底した。
インド産のオーラル性食塩水の粉末が大量に高い値段で市場に出回った。
幸い間に合ったので、私も早速市場から購入し、それで再び命を取り留めた。
飢餓と寒さ暴力と並んで、多くの北朝鮮の民衆の生命を奪い取った恐ろしい病魔。
それが私から引き下がっていったのは、季節も涼しくなり稲の収穫が始まる10月に入る時だった。
<何とかこの秋まで頑張るのだ。秋までに配給や職業は元通りになるだろう>
秋に希望を見出し、私は生き延びたのだった。




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