■ザルカウィと「イラクの」アル・カイダ(1)
アブ・ムサブ・ザルカウィは、米軍戦闘機から投下された精密誘導爆弾によって、39才の生涯を閉じた。ザルカウィの追跡には、ヨルダン政府情報部が協力したといわれている。だが、決定的な情報はアル・カイダ組織のメンバー内部からもたらされた。ビン・ラディンのアル・カイダとザカウィがイラクでつくりあげたアル・カイダは基本的に別物だ。
日本のメディアはアル・カイダを「基地」と訳して紹介する場合が多い。だが、たとえばテーブルの支柱部分や、セロテープの台座スタンド、これもカイダとよぶ。私はアラビア語の専門家ではないが、アラビア語を意訳して、「カイダ=拠点・根拠地」ととらえると、組織の実態が見えやすくなるのではないか。
「各地に根拠地をつくり、全世界を戦争の渦に叩き込む」というアル・カイダ。このフレーズ、赤軍派の世界戦争宣言と似てはいないか。イラクでゲリラ戦するだけが目的でなく、そこを拠点に全世界に聖戦を輸出していく…。 その「根拠地」が、イスラム聖戦か、共産主義革命をめざすものかの違いと考えればわかりやすい。(ちょっと無理やりか…)
アフガニスタンのビン・ラディンのもとにやってきたザルカウィは、資金を得て、アフガン東部にジュンド・アル・シャム(ダマスカス兵士団)という軍事組織をつくったとわれる。米英軍のアフガン空爆ののち、イラク・クルド地域最西端、イラン国境付近の山村でクルド人過激イスラム組織とともに活動を始めた。
このキャンプは、イラク戦争開始直後、米軍の空爆を真っ先に受けたたものの、バグダッドやモスルに逃れた組織メンバーは、各地で拠点を形成した。(このときの一部がアンサール・スンナ軍結成へといたる)ザルカウィグループは、バグダッド、モスルなどの都市内のスンニ派地域で活動網を広げていった。
イラク戦争後、支配者となったアメリカ。その横暴な占領政策に怒るイラク人を引き込みながら、ザルカウィの組織は拡大する。このときの名は「統一と聖戦組織」。韓国人ビジネスマンや日本人、香田証生さんはこの組織に殺害されている。組織にはいくつか別の部隊名があるが、ザルカウィ系統は過激な手法が特徴だ。人質を斬首し、映像を公開する残忍さで世界を震撼させたが、その過激さにイラク人メンバーの離反もあいついだ。
(ザルカウィと「イラクの」アル・カイダ 2 に続く)
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イラク・トルコ・イラン・シリアにまたがるクルディスタン。分断民族クルド人とは。クルド問題とその他の地域も取材中(坂本卓/アジアプレス)



