アフガン韓国人人質事件〜「自己責任論」をあらためて考えてみる(その3)
【米軍の空爆で破壊されたタリバンの戦車(2002年/FILE)】撮影:坂本卓 |
高遠さんらのグループとほぼ同じ場所で拉致された韓国人らはすぐに解放されたが、金銭を強奪されている。イラク人は「カネを盗ったならジハード(聖戦)じゃない」と言う人がすくなくなかった。事件を起こした武装勢力はどういう組織で、どういう人間だったのか、分析すべきことはいくつもあった。
状況を分析して人質解放のオプションを検討する方向に議論が向かわず、「自己責任論派」か「賞賛派」かに膨大なエネルギーが注がれていった。賞賛論は「自衛隊撤退せよ」とペアであり、「事件が起きたのは小泉政権が自衛隊をイラクに送ったからだ」とつながっていった。一方、自己責任論は、「なぜ助ける必要があるのか」から、ついには「反日分子」と右巻きな方向にぐんぐんと突き進んだ。
じつは自分は当時、かなり複雑な心境だった。人質の無事は願いながらも、事件によって、戦争から1年のイラク市民の状況を伝えるどころではなくなった。こう着状態で、イラクからの目新しい映像が入らなくなると、日本の動きがニュースの大部分を占めるようになった。
イラクで活動するNGOの様子を開戦1周年にあわせて丹念に取材していテレビ局の特集などはすべて吹き飛んだ。「占領から1年。市民の思いは…」多くの記者がそういう視点で取材をすすめていた。あの人質事件こそがイラクをあらわしている、という人もいるだろう。だが、やはり彼らは「無謀」だった。「もう人びとの声どころじゃなくなったじゃないか」という気持ちを、あのとき、自分も抱いた。
でも、しかし…なのだ。なにより私たちが考えなければならないのは、人質事件が起きたら、状況を分析して人質の救出に尽くすということである。人質になった人物がどんな人でも、いかなる経緯があろうとも、それで人間の価値や、救出活動の是非を判断してはいけない。
コストがかかろうとも、まず全力で救出活動をする。そして、無事解放されたら、きちんと事件を検証して、無謀であれば、「なぜ無謀だったのか」を議論し、本人や周囲が理解しなければならないのではないか。そして同時に、社会も事件から教訓を学ばなければならない。なぜ「無謀」だったのか、を理解せず、「自業自得」と切り捨てれば、そこからさきには議論も思考もなにもない。誰かが再び事件に巻き込まれないためには、その積み重ねが必要なはずだ。(続く)
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イラク・トルコ・イラン・シリアにまたがるクルディスタン。分断民族クルド人とは。クルド問題とその他の地域も取材中(坂本卓/アジアプレス)




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