アフガン韓国人人質事件〜「自己責任論」をあらためて考えてみる(その4)
![]() 【アフガンで活動する国際治安支援部隊(ISAF)のイタリア軍兵士(2002年/FILE)】撮影:坂本卓 |
人質事件がおきる数日前まで私はモスルで取材していた。「イフティタフ(誘拐)ではなく、「イフティヤル」(暗殺襲撃スタイルの殺害)が横行していた場所だ。いまから思えば、「無謀」だったし、間違いだったのかもしれない。
間違いは誰だっておかす。それが責任を伴えば、その責任は取らねばならないだろう。しかし、1度の間違いで、「死刑宣告」をする社会とはなんなのだろうか。ネットの匿名書き込みは、すさまじかった。
そして、さらにヒドかったのが、ネットよりも影響力がある日本の新聞、テレビ、雑誌のリンチ的報道だったと思う。
もし自分がイラクで人質になったら、あの凄まじい「力」に耐えることができただろうか。人質に銃を突きつけていたのは、武装勢力だけではなかったのだ。大きな事件が起きると、「わーっ」という喧騒状況に陥った社会は理性を失う、ということをあらためて認識させた。
日本人人質の解放後、私は包囲下のファルージャに入った。空爆で破壊された街。建物の壁や天井には引きちぎれた肉片と飛び散った血がまだいくつも残っていた。ファルージャそして、バグダッドの武装勢力のグループにも接触し、直接取材した。なぜ、銃をとって戦うのか。占領への抵抗の意味は何か。外国人人質事件はなぜ起きたのか。イラク人はなにを求め、自衛隊、日本をどう見ているのか。
危険をおかしての取材も、日本のメディアはほとんど取り上げてはくれなかった。メディアの、そして人びとの関心は帰国した日本人人質にしかなかった。どんな機内食だったか。空港での第一声は。イラクのことは、もうそこで終わっていたのだ。
人質となった5人は、皆、自分たちのことより、イラクの人びとのことを伝えようとしていた。ところが報道は、別の方向に行ってしまった。
ことし4月、日本人人質事件から3年」というタイトルの特集があった。、「イラク戦争から4年〜イラク人は今」という特集では、視聴率が取れないのだろう。いま、イラク特集をやってもチャンネルをかえられるので、視聴者に少しでもイラクのことを思い出してもらおうという工夫、というより苦肉の策かもしれない。
伝えようとしないメディアに責任がある、と市民は言い、メディアは「視聴率がとれないからイラクはやらない」…つまり「社会の関心が高ければ報じる」という。ニワトリが先か、タマゴが先か。どっちもなのだ。
いまも、イラクそしてアフガニスタンでは「戦争」は続いている。果たして、私たちは、「あの事件」から得た、「何か」を生かせるのだろうか。
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イラク・トルコ・イラン・シリアにまたがるクルディスタン。分断民族クルド人とは。クルド問題とその他の地域も取材中(坂本卓/アジアプレス)





