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季刊誌 北朝鮮内部からの通信〜リムジンガン 第2号・夏号
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ico_new.gif北朝鮮―「表現の自由、言論の解放が必要です」[若者の声] リムジンガン
23歳青年が考える祖国の発展の条件 2
中国のような改革を
リム 中国と聞いて思い浮かぶものは?
キム 中国は朝鮮と同じ社会主義国だが、特色ある社会主義国ということになっている。しかし、看板は社会主義国でも…

ico_new.gif北朝鮮経済官僚極秘インタビュー リムジンガン
我が国の経済動向 13
「人は飢えとは妥協できない」
ケ・ミョンビン:さて、その食糧専売制の結果はどうだったのか? それは食糧供給体制を、決して以前の「配給制」に戻そうとするものではなかった…

ico_new.gif北朝鮮―映像取材ルポ 平安北道朔州(サクジュ)郡を行く 2 リムジンガン
[解説]辺境の軍需産業都市は寂獏としていた(承前)
実際に訪れて見てみると、金正日の論文で強調されていた、こぢんまりして上品な地方産業は影が薄く第二経済委員会傘下にあり、大口径の曲射砲を生産する…

ico_new.gif偽ドル[北朝鮮のことば] リムジンガン
平壌市の黄金原(ファングムボル)駅とキョンフン通り周辺の外貨商店(外貨でのみ販売する店)も、すっかり夜の闇に包まれた。いつしか人影も途絶え、もう両替をしに来る客もいそうにない…

ico_new.gif北朝鮮―「私は政治犯収容所に10年いた」 リムジンガン
北倉(プクチャン)18号管理所出所者の証言 12
「第18号管理所」事件
 ●事件の発端「申訴事件」(承前)
申訴者を放っておいたら自分たちが危ないということをよく知っているXの一派は、検閲員がテープを手に入れて平壌へと戻るやいなや…

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(ビルマ)長井健司さんの死を悼む 【野中章弘】

070928_nonaka.jpg(ビルマ)長井健司さんの死を悼む

昨日(9月27日)の午後、ビルマ(ミャンマー)のヤンゴンで取材中の長井健司さんが撃たれて死亡した。危険を承知で赴いたとはいえ、やはり痛ましい。
 事件の詳細はわからないが、デモ隊に向けて発砲した軍の流れ弾にあたったということらしい。状況からみて、彼自身が狙い撃ちにされたということではないようだ。

ぼくの記憶では戦争取材などで亡くなった日本人ジャーナリストは、ここ20年間で4人目である(交通事故やヘリコプターの墜落事故、病死などは除く)。他の3人は、88年10月1日、アフガニスタンでゲリラに従軍中、地雷を踏んだ写真家の南条直子、2004年5月27日、イラク取材中、武装勢力の襲撃で殺害された橋田信介と甥の小川巧太郎。南条と橋田はぼくの友人だった。

4人に共通しているのは、全員がフリーランスであるということだ。新聞、テレビの記者たちが戦争取材へ行かなくなった分、戦場などの危険地域の取材はおもにフリーのジャーナリストたちの領域となっていた。今度も特派員たちにはビザが発給されず、大手メディアの記者たちは入国できていない。またビルマに滞在していた記者たちも国外退去処分となっているらしい。

このような場合、フリーはジャーナリスト・ビザではなくて、観光ビザで入国することが多い。時には隣国から、ゲリラ部隊に従軍して国境を越えることもある。不法出入国となるが、それもやむをえない。ジャーナリストはまず現場に立たなければ、仕事は始まらない。長井さんも、同じ気持ちだったと思う。

ただ、フリーの場合は、往々にして組織的なバックアップ体制が弱いため、その分、取材上のリスクは大きくなる。それでも、「危ないから行かない」という選択はない。職業上のリスクは引き受けざるをえない。ジャーナリストとはそのような仕事なのだから。アジアプレスでは、99年9月25日、インドネシア人のメンバー、アグス・ムリヤワンが東ティモールで、インドネシア軍の命を受けた民兵に射殺されている。「殺害された」という連絡を受けたときの衝撃はいまでも忘れない。

ビルマについては、私も88年の軍事クーデターや少数民族の武装闘争などを取材したことがあり、ビルマ軍の残虐な行為は幾つも目撃した。その酷薄な体質はまったく変わっていない。軍事政権はなぜそこまで非情になれるのか。
 
「記録すること」が私たちの仕事であり、長井さんもギリギリまで現場に踏みとどまりたい、と思っていたに違いない。
 無念にも志半ばにして斃れた長井さん。あなたのスピリットを私たちは決して忘れることはないでしょう。いまは安らかにお眠りください。 (野中章弘)