深く静かな怒り〜その3
![]() 【本土から応援の参加者も多かった】 |
3時定刻に開会し、4時半定刻に「がんばろう」で散会。沖縄戦・集団自決を体験した人の証言を挟み、知事や県会議長を含む各界代表が意見を述べる粛々とした集会だった。
最後に、来賓が紹介されたが、菅直人代表代行や市田書記局長・照屋副党首らそれぞれ党の顔を送り出しているにもかかわらず、地元選出の議員も含めて、政治家にはひとこともしゃべらせなかった。これもすがすがしい。
南風原から参加した元高校教諭の仲里善助先生(67)は、「算数や理科は本を開いて勉強できるかもしれないが、戦争を学ぶにはどうしても『体験』が必要なんです。しかし実際に子供たちに体験させるわけにはいかないから、体験者から証言を直にきくことが貴重になる」という。
そして、文科省の検定審議会委員のなかに沖縄史の専門家がいないことに憤りを感じておられた。しかし、沖縄史の専門家でなくても、日本史を少しでもかじった人なら、というより日本人なら集団自決は当然知っていてしかるべきことであろう。
ヒロシマとオキナワは世界史が背負った十字架ともいえるが、両者の体験者の証言には大きな違いがある。前者の被害が一瞬のうちに発生するのに対し、オキナワのそれは長い長い一つの物語である。
米軍上陸から戦闘終結までだけを見ても、三か月に及ぶ。その間、島の人たちは島中を逃げ惑った。その逃避行にまとわりついているのが、「大日本帝国の軍隊」である。幾多の人たちの証言に登場する「軍」とは、米軍よりもむしろ日本の兵隊なのである。しかも多くが固有名詞で登場する。
最後に渡された「手りゅう弾」。私はどこで体験したのか忘れたが、その重みが手の中に残っている、ずしりと重い。それを少女たち、少年たちに握らせた。その痛みを県民は共有している。
日本軍の関与を否定するということは、沖縄戦そのものの本質をあやむやにし、苦難の戦後を歩いた支えをとっぱらうに等しいのではないのか。あるいは、「原爆は必要だった」発言にも匹敵にする、いやそれ以上の侮辱ともいえる。
![]() 【「がんばろう」で散会】 |
前掲の仲里先生は、「今度のことは、安部内閣が出てきて、まもなくおこったんです。偶発的なものじゃなくて、一連のものだと思うんです。一つの流れじゃないですか」という。
確かに、今回の事件はよい方向でいったんは解決されるかもしれない。しかし日本に軍隊を再構築して、海外に進出させたいと思っている人たちは、あらゆる努力を続けていくことだろう。気をつけなければならないことは正確な証言と記録を残し、伝えていくことであろう。
同じく南風原から参加したある県職員は、「この暑い中、大勢のお年寄りが杖をついて参加している。そこに価値があると思う」と語る。そういう彼女も、78歳のお父さんを伴って参加した。そのお父上も元教師。決して健康とはいえない身体だが、何の躊躇もなく参加したという。
壇上の発言者が繰り返し言っていた。「沖縄戦の教訓はなにか。それは、軍隊は住民を守らない、ということ」。この2日前にも、ヤンゴンでミャンマー軍が住民に銃口を向け、引き金を引いていたことを想起せざるをえない。沖縄の人たちはじかに日本の軍隊を体験した人たちだともいえる(本土の人間は案外、軍隊との接触が少ない)。
だからこそ彼らの証言は貴重だ。さきほどの仲里先生が最後にこう言った。「これは日本全国民の問題なんです」。■





