フリーランスの危機感と存在意義
![]() 【タリバン戦車基地跡/カブール 02年】(撮影:坂本卓) |
アフガンやイラク戦争報道で注目を浴びたにもかかわらず、いまフリーランスの現状はきわめて厳しいものがある。
それは私自身、日々肌で感じてきたことである。
私がフリーランスとしてスタートを切った1980年当時と比べても、状況は一貫して悪くなるばかりである。
玉本英子は「国際報道の発表の場は年々少なくなっている。長井さんの例でもわかるように、日本人が絡んだもの以外、関心を引かない。映像ジャーナリストの将来は絶望的ではないか」と嘆き、山本美香も「フリーランスの未来に希望は持てない。イラク戦争をピークに、大手メディアは守りの姿勢に入ったように思う。社員記者を守るため、以前より排他的になり、外部のジャーナリストが仕事を確保することはむずかしくなる一方だ」と危機感は深刻だ。
ほとんどのフリーランスの認識も同じだと思う。
そこまで追い詰められながら、なぜ彼らはフリーランスであることを辞めようとはしないのか。
その答えはさまざまだが、共通しているのは、「光の当たらない人々の声なき声に耳を傾けていきたい」という想いの熱さである。
言葉を代えれば、彼らは「カネ」には換算できない「ジャーナリズムの価値」に人生の多くを賭けているのである。
そうでなければこの仕事を続けていけるはずもない。
またフリーランスの多くは現在のマスメディアが、肝心の「ジャーナリスト・スピリット」の部分で機能不全、思考停止に陥っていることを感じている。
ここ数年間の出来事から、マスメディアとの対比において、フリーランスの存在意義を示す事例をいくつか拾ってみよう。
(1)戦争の何が伝えられなかったのか
たびたび指摘されてきたことだが、マスメディアは戦場へ記者を派遣しない。
イラク戦争では、日本の特派員たちは全員、米軍の空爆が始まった03年3月20日以前にバグダッドから退避していた。
米軍へのエンベット取材による「戦況報道」だけでは、バランスを欠くのは当然である。
少なくとも、特派員が留まっていれば、米軍のバグダッド入城を「首都住民は米軍を『解放軍』として歓迎・・・」「『解放だ』市民歓喜」(03年4月10日付読売新聞)などと翼賛的に書き立てることもなかったにちがいない。
このとき、現地でフセイン像引き倒しの瞬間を目撃したリポーターは、「米軍を歓迎している人はごくわずかです」とテレビで訴えていたのである。
この日の紙面は、現場にいない記者が通信社電やテレビのニュースを丸めて作文したという意味からも、「汚点」としてジャーナリズムの歴史に残る。
これについては朝日新聞の紙面審議会(03年6月6日付の紙面)での私の指摘などを参考にしてほしい。
いずれにせよ、「安全が確保できない」という理由で戦場取材を行わないのは、ジャーナリズムのグローバル・スタンダードではない。
欧州の記者たちは百数十名もバグダッドに留まって取材を続けており、空爆を受ける側の被害報道により、戦争を仕掛けた米英への批判的な立場を担保することができた。
バグダッドに記者がいなければ、その視点を貫くことはむずかしい。
その点からも、開戦前からイラクへ入り、空爆下のバグダッドでリポートを送り続けた佐藤、山本らの果たした役割は大きかったと思う。
「世界のテレビはイラク戦争をどう伝えたか」(「年報2004」・NHK放送文化研究所編)という精緻な報告書によれば、NHKと民放の代表的なニュース番組が流したイラク戦争の実写映像は、使用頻度順に、(1)隊列を組む(米軍の)戦車(2)(米英軍による)イラク軍施設の破壊(3)(米軍艦船などからの)ミサイル発射となっており、視聴者へ届けられた映像は戦争を仕掛けた米軍側のものが圧倒的に多かったことを示している。
少なかったのは、攻撃を受けたイラク人犠牲者の映像である。
全体として米国の情報操作に乗せられていたというわけだ。
もし米軍サイドからの情報とイラク市民の死傷者を報じる情報の量が逆転していたなら、世論はイラク戦争反対へと大きく傾いていたにちがいない。




