トップ > 執筆者別 > 野中章弘 > ‘野中の眼’ 映像ジャーナリストの現状を考える (8)  〜長井健司さんの死を受けて〜 (野中章弘)

‘野中の眼’ 映像ジャーナリストの現状を考える (8)  〜長井健司さんの死を受けて〜 (野中章弘)

P1000580_sapn.jpg
【中朝国境取材中の金ヘギョン。危険地帯での安全な取材は存在しない】©ASIAPRESS

イラク戦争、北方四島・竹島そして北朝鮮――。
9・11同時多発テロ以降の日本にとってもっとも重要な問題において、マスメディアはその役割を充分に果たしているとはいえない。
報道の現場にいるフリーランスは誰しもそのことに気がついている。

また番組への政治介入の有無を争ったNHK・ETV裁判は、政治と闘えないマスメディアのあり方を鋭く告発してきた。
しかし、その問いかけを日本のマスメディアが真摯に受け止めているとはとうてい思えない。
公権力との関係において、批判的精神を喪失しつつあるメディアの現状は危機的ですらある。

そのような状況の中でフリーランスの存在はますます重要になってきたと思う。
「カネ」や「安定した生活」に換算できない「ジャーナリズムの価値」に賭けるフリーランスのスピリットこそ、この時代を生きるジャーナリストたちにとってもっとも必要とされるものだと信じている。

「危ないから行かない」という選択はない

稿の最後となったが、長井健司の死について私見を述べてみたい。
私の記憶では、長井はソ連軍のアフガン侵攻以降、戦争や紛争取材(病気や交通事故などは除く)で亡くなった4人目の日本人ジャーナリストである。

88年10月、アフガンで地雷を踏んで死亡した南条直子、そして04年5月、イラクで殺害された橋田信介と小川功太郎。
全員フリーランスである。

冒頭で書いたようにビデオカメラを持った取材者なら、必ずデモ隊と軍との衝突点で撮影を行う。
だから軍が発砲を始めたとき、長井が逃げるデモ隊の最後尾にいたことは不思議ではない。
「記録すること」が私たちの仕事であり、長井もギリギリまで現場に踏みとどまりたい、と思っていたに違いない。
また、多少の危険を冒してでも、テレビ局の取材班よりインパクトのある映像を撮らねば仕事にならない、という焦りもあったかもしれない。

長井の「誤算」は、ビルマの兵士たちが暴力を行使することをまったくためらわない、ということに気づくのが遅かったことだ。
ビルマ取材の経験がなかったため、軍に対する認識に甘さがあったのかもしれない。

ビルマの兵士たちはどのような非道な命令であれ、それを忠実に実行する。
長井はパレスチナでも、イスラエル軍との衝突などを取材しており、散発的な発砲なら大丈夫と判断したようだ。

流れ弾に当たることはあっても、取材中のジャーナリストをいきなり撃つ、というようなことは想像もしていなかったにちがいない。
事件の10分前、軍による鎮圧を警告するアナウンスが流されており、兵士たちがトラックで到着した時点で、すぐ現場を離れていれば惨事は避けられたかもしれない。

ジャーナリストが事故で死ぬときは必ず判断ミスがある。
南条や橋田のケースもそうである。ベトナム戦争まで遡れば、カンボジアで殺害された一ノ瀬泰造や沢田教一たちも、信じられないような大きなミスを犯していた。

私の経験では戦場取材でもいくつかミスは出る。
それをゼロにすることはできない。
私たちは神様の眼は持っていないからである。

デモ隊や軍、警察がどのような行動をとるかを完璧に予測することはできない。
ただ、戦場でも判断ミスがいつも「死」に直結するわけではない。
ほとんどは「冷や汗をかいたね」と笑い話で済ませることができる。
しかし、何回かに一度の割合で、致命的な事態をもたらすことがある。それが戦場取材のリスクというものだ。

山本美香は長井の死を「殉職」と表現した。
私もそう思う。
どの職業も同じだが、ジャーナリストにも職業的なリスクがある。
特に戦場ではそのリスクは高くなる。その危険性を充分承知したうえで、私たちは取材を行う。

日本でもっとも戦場取材の経験の豊富なジャーナリストのひとり、佐藤和孝は長井の死についてこう語った。

「タイでクーデターがあったときのシーンを思い出した。欧米のカメラマンが戦車の機銃で撃たれ、倒れた後もカメラが回っていた光景だ。毎年多くのジャーナリストが亡くなっているが、リスクを冒さない限り、何が起きているのかを記録することはできない。長井さんの事件ではビルマの軍政に対して大変な怒りを覚えるが、彼の死で私たちの取材のやり方が変わるということはない」

佐藤の言葉は大方のジャーナリストたちの気持ちを代弁していると思う。
フリーランスは往々にして組織的なバックアップ体制が弱いため、その分、取材上のリスクは大きくなる。
それでも、「危ないから行かない」という選択はない。職業上のリスクは引き受けざるをえない。

玉本は長井の事件について、友人の新聞記者のエピソードを苦々しい思いで聴いた。
ある大手の新聞社へ「ヤンゴンで日本人カメラマン死亡」の第一報が入ったとき、社内では「どうせ、どこかのフリーなんでしょう」という言葉が漏れたという。
そのような眼でフリーランスを見ている記者たちがいることは残念だ。

今回、ベテランのジャーナリストである長井の死は「尊い犠牲」と報じられたが、もし、死んだのが駆け出しのジャーナリストなら、マスメディアはその死をどのように報じたのであろうか。

この稿ではさまざまな視点からマスメディアを批判するような形でフリーランスのあり方を書いてきたが、誤解のないように言えば、私はフリーランス対マスメディアという二項対立的な図式にとらわれているわけではない。

なぜなら、成熟したジャーナリズムにとって、独立心の旺盛な組織に属さない、ジャーナリスト精神あふれる独立したフリーランスの存在は不可欠だと思うからだ。
フリーランスはいま多くの問題を抱えている。
そのほとんどは、旧態依然とした日本のマスメディアの構造から生じている。
その解決に取り組む主体的な努力こそ、求められている。

敬称略 〜終わり〜
<<前 | 次>>


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://gs820.ggsv.jp/~w820014/mt33/mt-tb.cgi/2138

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前に当サイト管理者の承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

yoshida_side.gif yoshida_side.gif yanagimoto_APN__banner005.gif ogura_side.gif ooba_APN_banner004.gif sakamoto_side.jpg tamamoto_side.gif sakamoto_side.jpg

記事分類

イベント・最新番組・映画
更新履歴