リムジンガンのご案内

ico_new.gif北朝鮮―またも始まった市場の「抑制」 リムジンガン
「民衆はだんだん嫌になっています」4
配給能力
シム:ジャンマダンを縮小して、代わりに国家が食糧配給を全部出すとしたら、市場を公営商店に変えることができるかな? 今年は三〇%も収穫が落ちたというが…

ico_new.gif北朝鮮―ある女性党員との対話 上[将軍と人民] リムジンガン
二〇〇七年の一一月、シム・ウィチョン記者は編集部からの要請を受け、指導者である金正日将軍が、朝鮮内部でどのように見られ、語られているかについて継続して取材することになった…

ico_new.gif北朝鮮―またも始まった市場の「抑制」 リムジンガン
「民衆はだんだん嫌になっています」3
いまや大企業なみのジャンマダン
チョン:ジャンマダンでは国家の儲けも多いはずなんだが。例えば、私が市場で靴の商売をやるとすると、幅五〇センチぐらいの売り場を設けてくれる…

ico_new.gif北朝鮮―自転車ばかりを狙う軍人強盗団 [事件・事故] リムジンガン
二〇〇六年一一月末、清津(チョンジン)市で自転車ばかりを専門的に強奪する強盗団があちこちで暗躍したため、保安員(警察官)が捜査に入った…

ico_new.gif北朝鮮―またも始まった市場の「抑制」 リムジンガン
「民衆はだんだん嫌になっています」2
「おばけのやりかた」
シム:市場ぐらいは大目に見て好きに商売させてくれればいいのに。そうすれば人々の苦痛も軽くなるだろうに…

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‘野中の眼’ テレビ論 「臣民化」された民主主義 2 (野中章弘)

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【昨年、納豆ダイエット番組のデータ捏造が発覚した関西テレビ。だが、多くのテレビ局の制作現場では、「演出」の名の下に捏造やヤラセは横行してきた】

テレビによる人々の「臣民化」は、経済と米国的価値のグローバル化という側面も併せ持つ。
例えば、米国を標的とする「テロリスト」たちは、IBMとマイクロソフトの製品を使って「テロ」の計画を練り、トヨタは米国で現地生産の「国産車」を売って販売台数を伸ばす。

そしてアフガニスタンに君臨する軍閥司令官が衛星放送でポルノを楽しみ、パリの街角で日本人旅行者がマグドナルドを見つけて安堵のため息を漏らすとき、「最後の秘境」と呼ばれるチベットの辺地で若者たちは米モトローラ製の携帯電話で愛を語り合う、といった具合である。

市場経済化はヒトもモノも、すべてを商品化するシステムである。
効率的な商品化のためには、均質化、画一化された価値観やライフスタイルを浸透させねばならない。

テレビほど、その尖兵としての役目に忠実だったものはない。
むろん、短期的にはテレビが民族主義を煽り、政治的、経済的、宗教的な衝突と混乱、時には体制の変革を招く道具となることもある。

また、テレビの持つ管理不能性は権力にとってもっともやっかいなものであるという指摘も正しい。
しかし、そのような点に留意したとしても、長期的にはテレビはさまざまな凹凸を解消させ、すべての人々を「消費者」という名のもとに「臣民化」させてきたという事実は動かしがたい。
「臣民化」への欲求はマスメディアであるテレビの本能といえる。

「臣民」は「市民」よりも脆弱な存在である。テレビの垂れ流す、流動食のような情報を胃に流し込んできた「臣民」の胃袋は、もはや硬いものや歯ごたえのあるものを受けつけない。
噛み砕くという習慣を忘れた「臣民」の歯グキとアゴの筋肉は衰え、柔らかなものばかりを喰らってきた胃袋は、食べ慣れないものや固形物を消化する力を失う。
異物は消化されず、胃痙攣を起こして吐き出されるだけである。

テレビは「臣民」の胃袋に合わせて番組の味付けを行う。
素材の良さを活かすより、ケチャップや科学調味料をたっぷり使って、何でもかんでも同じ味付けにしてしまう。その結果、どのチャンネルを回しても、同じような顔ぶれの似たような番組ばかり。あたかもマグドナルドの隣にKFCとモスバーガーやロッテリアが軒を連ねる商店街みたいである。店の名前は違っても、結局はファースト・フード以外の選択は準備されていない。 

事実、現在のテレビでは、ニュースとバラエティを区別すらことすら、意味をなさない。
「報道番組」において、政治家はタレントと化し、タレントは政治家の物言いを真似る。
誰も彼もが全身にケチャップを塗りたくった役者のようである。私の友人にカツ丼にマヨネーズをかける者がいたが、彼に「味覚」を問うても詮もないことである。

また、いつの頃からか、「報道番組」の味付けは、お笑いタレントや「庶民」のふりをした芸人、ブランド品で身を包んだアナウンサーの仕事となったようである。
彼らの発する言葉の多くは、「コメント」未満のたんなる「感想」である。それを「視聴者と同じ目線でニュースを伝えたい」などと言いつくろう。
物事の価値判断、優先順位をつけるという「プロの眼」は脇に追いやられたままである。

ある有名な「報道番組」の某キャスターは、事件を伝えるとき、顔面一杯に「苦渋」の表情を滲ませながら、「(容疑者に対して)ハラワタが煮えくり返る思いです」と叫ぶ。

事件の背景や事実関係もつまびらかでないときから、警察発表を鵜呑みにした「感想」を押し付け、視聴者を思考停止へと追い込む。
「視聴者の側に立つ」という内実は、政府や権力を行使する者への批判力、抵抗力として発揮されねばならないが、そのような意識はまったく希薄である。
畢竟、「臣民化された社会」においてジャーナリズムが呼吸困難に陥るのも不思議はない。

ちなみに「臣民化」を担ってきたテレビのA級戦犯はまぎれもなくNHKである。
余談だが、NHKの番組宣伝で「NHKニュースは24時間眠りません」とアナウンサーが声を張り上げていたのを思い出す。
自民党の政治家たちの前であれほどグッスリと「良心」を眠らせておきながら、「24時間眠りません」とは近年最高のブラック・ジョークだったにちがいない。

テレビは砂糖をまぶした甘いものを次から次へと用意して、「臣民」を誘惑する。
今日はドーナツ、明日はアイスクリーム、明後日はケーキと毎日違った種類のおやつを「臣民」に食べさせる。

いくら好物であっても、人間は甘いものばかり食べていると、身体が壊れるということを体験的に知っている。
だから、時々ほうれん草も食べる。だが、人間は精神(心)が壊れていくことに対しては、往々にして無自覚である。
こうして精神の栄養バランスが崩れ、「思考の筋肉」の弛緩した「臣民」たちが、テレビによって日々大量に生産され続けている。

 〜続く〜