![]() 【意岐部東小学校6年生の児童が寄せ書きしたメッセージを熱心に読むジャワヘリ小学校の子どもたち】(2007年/イラク・クルド地域・アルビル/撮影:玉本英子) |
「避難民」ときくと、「あわれで、貧しい」と想像してしまう人が多いのではないだろうか。イラクの小学校と交流をしてきた大阪の意岐部東(おきべひがし)小学校の6年生の子どもたちと話したとき、多くがそうしたイメージを持っていた。
戦争ですべてを失い、テント暮らしを強いられる人びとがいるのは事実だ。その日の食べるものがなく、救いの手を待ち望んでいる人もいる。しかし、いまイラクで避難民となった人びとの多くが、これまで普通の暮らしがあった、私たちとかわらない人たちだ。
フセイン政権時代のイラクは、イランとの戦争と湾岸戦争、そして経済封鎖ゆえに国民生活は困窮したが、もともと近代的で、発達した教育制度、文化をもつ国だった。独裁政権にこそ苦しんだものの、平均的なイラク人は日本の私たちと比べると広い間取りの家に住んでもいたし、子どもたちはプレイステーションやサッカーをしたりと日本と同じような日常があった。
![]() 【ジャワヘリ小学校の子どもたちのほとんどがバグダッドやモスルから家族で避難してきた】(アルビル/撮影:玉本英子) |
しかし、戦争とそのあとにもたらされた惨禍によって、1歩外に出れば、誘拐されたり、爆弾事件や銃撃にまきこまれたりする不安と恐怖の中で暮らさなければならなくなった。
人びとは、生きるために、避難することを余儀なくされた。しかたなく家を売るか、あるいは残った親戚や近所の人に家を任せて、町をあとにしていった。シリアやヨルダンなど近隣の国にのがれた人びと、そして国内でもすこしでも安全な場所を求めて、一時移住する避難民となった。
治安悪化が原因で、この5年間に200万が国内各地へ、そして220万人が近隣諸国へ安全を求めて逃れざるをえない状況に追いやられた。(UNHCR調べ)
もっとも深刻な状況に直面したのは、子どもたちだった。シーア、スンニ、キリスト教徒…。これまで友達どうしだった子どもたちが、大人たちのはじめた「争い」のために、宗派や民族をいやおうなしに意識せざるをえないような状況がうまれてしまった。 (続く)
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