シェヒッド・ナミリン「烈士は死なない」(4)
![]() 【追悼所の壁一面に並ぶ戦死したゲリラの写真を見つめる青年】(2006年/マハムール/イラク) |
イラク北部、ニナワ県マハムール。クルド人とアラブ人が混在する小さな町のはずれに、マハムール難民キャンプがある。ここにはトルコからのクルド難民2000世帯、約1万人が暮らす。難民の多くは、トルコ南東部、クルド人居住地域のスルナックやハッカリなどからやってきた。
PKKとトルコ軍の衝突が激しかった90年代前半、トルコ軍は農村部に浸透していたPKKに対する防波堤としてクルド村の住人を武装させて準軍事組織とする、キョイ・コルジ(村落警備隊)制度を導入した。村落防衛隊に編入されたクルド村はPKKによって「民族の裏切り者」と規定され、攻撃の対象となった。
トルコ軍への協力を拒んだ村は、「PKK協力者」として、軍によって立ち退きを迫られた。トルコの人権団体は、軍によって破壊されたり、焼き払われ、無人化された村は3000にもおよぶとしている。
村を軍に破壊された農民たちは、家と畑をあきらめ、多くがトルコの都市部や欧米諸国に難民として逃れていった。だが、なかには、イラクへと向かった農民たちもいた。
トルコの国境を徒歩で越え、フセイン政権下のイラクにたどり着いたのが、いまのマハムールの難民たちだ。粗土ばかりの廃れた土地にビニールテントをはり、自分たちで石を積みあげながら家を作っていった。
すでに15年ちかくが経過し、ここはキャンプというよりも、いまは小さな「町」のようだ。だがイラク国民でない難民たちは、キャンプ外にでるには許可証が必要で、外からここに入るにも、治安当局の厳重な検問を通らなければならない。
マハムールはクルド語でもソラニ方言の地域にあたるが、このキャンプの住人は、トルコで主要なグルマンジ方言を話す。ソラニ方言もアラビア語も話せないキャンプの難民は、当初、町で仕事探すのも難しく、子どもたちはキャンプの外で高等教育を受ける機会も絶たれていた。
![]() 【15年がたち、キャンプというより「町」になっている。荒れた土地で農業もできず、男性の多くが町で建設の仕事につく】(2006年/マハムール/イラク) |
キャンプの中心に小さな建物がある。
シェヒッド(烈士)追悼所だ。
なかに入ると、壁一面にゲリラの顔写真が並ぶ。
全員が、戦死したシェヒッドだ。
シェヒッド・ナミリン(烈士は死なない)という言葉が写真に添えられていた。
ゲリラとして死ねば、シェヒッドとして、ここに名が刻まれる。
ときおり若者たちがやってきて、シェヒッドの肖像を眺めたり、詩に思いをつづったりしていた。
地元行政当局は、これまでマハムール難民について、「いつかはトルコに帰還する」という扱いだったが、社会的機会が制限されてきたことが若者をゲリラに向かわせた一因ととらえるようになり、キャンプ外への進学も認めるなど政策を転換している。
トルコ政府は、このキャンプにPKKが浸透しているとして問題視する一方、「難民たちのトルコへの帰還は受け入れる」と表明している。国連、米軍も難民の代表らと話し合いを重ねている。だが、難民たちは、「問題は我々ではなく、トルコにある。まず、クルド問題が解決されなければ、我々の安全は保障されない」として、現在もトルコ帰還を拒否し続けている。
このキャンプからゲリラに加わり、シェヒッドとなった若者はすでに400人におよぶ。
(続く)
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イラク・トルコ・イラン・シリアにまたがるクルディスタン。分断民族クルド人とは。クルド問題とその他の地域も取材中(坂本卓/アジアプレス)





