![]() 【2006年、市民の不満から襲撃されたハラブジャ・モニュメントが再建されていた】(2008/03/16 撮影:玉本英子) |
ハラブジャは終わらない(1)
3月16日ハラブジャ事件20周年の追悼式典があった。1988年、クルド人の小さな町ハラブジャにイラク軍が毒ガス攻撃をおこない、5000人以上が死亡した事件を、クルド人は「イラクのヒロシマ」と呼んできた。人びとはいまも毒ガスによる後遺症に苦しんでいる。
地元の大ホールで行なわれた式典には約1000人が参加した。ハラブジャ被害者家族をはじめ、タラバニ大統領の妻、クルド愛国同盟(PUK)幹部、ハラブジャ化学兵器被害者協会メンバー、トルコからディヤルバクル市長オスマン・バイデミル氏、日本からはNGO代表、西谷文和さんがスピーチをし、ハラブジャ事件のの犠牲者を追悼した。欧米や日本からも記者たちが取材に訪れた。
当日、クルディスタン地域政府アンファール省は、ハラブジャ被害者の17家族にストーブやカーペットなどの生活用品を配り、被害者の家族の学生10人に奨学金として1人600ドルを渡した。
2年前のこの日の追悼式典は市民の暴動に変わり、追悼モニュメントは放火され、破壊された。治安当局の発砲で1名が死亡し、多数の逮捕者をだす事態となった。いっこうに進まない町の復興の現状に、市民の不満が爆発したのだ。
![]() 【追悼式典には外国メディアも多数取材に訪れた】(2008/03/16 撮影:玉本英子) |
「仕事がない」
多くの人びとの声を聞いた。そのため隣国イランに出稼ぎに出ている者も少なくない。
シャニヤ・アブドゥララシードさん(39)の家の前には女性たちが集まり、葬式が行なわれていた。シャニアさんの夫が3日前に亡くなったのだ。夫イスマイルさん(44)は当時クルド民兵ぺシュメルガの兵士としてハラブジャで遺体処理作業にあたっていた。
その後、日に日に体調が悪化、肌にしっしんができたり、呼吸困難になったという。それから20年間、各地の病院を訪れたが、原因は見つからなかった。それでも家族5人を養ってきた。それが2ヶ月前に急変、鼻から血を流し、苦しみながら死んだという。
「夫はなくなる前、これはハラブジャのせいだ、と話していました。もう20年もたつのに、ハラブジャは終わっていない」
シャニアさんは涙をこぼしながら語った。 (続く)
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