![]() 【PKKのイラン組織PJAKに参加するためイランに向かう女性ゲリラ部隊】(2003年撮影/カンディル/イラク・クルディスタン/撮影:坂本卓) |
かつてはPKKはトルコ軍に攻撃されるとイランに逃げ込んでいた。トルコでの攻撃をくり返しては国境線に消えるPKKを、トルコ軍は歯がゆい思いで見ていた。
2003年、イラク戦争後の中東の新たな政治状況をうけ、PKKはイランでの武装組織建設という方針を打ち出し、PJAK(Partiya Jiyana Azad a Kurdistane =クルディスタン自由生命党
پارتی ژیانی ئازادی کوردستان ) を建党した。(Jiyanは「生活」という意味もあるがここでは「生命」「人生」という意味合いが強いので、「自由な生命、生き方を求めるための運動」ととらえるのが言語の意義に最も近いと思う。ちなみにPJAKはペジャクと読む)
PJAKがイラン軍や革命防衛隊への襲撃や暗殺を開始すると、イラン軍はPKK取り締まりを強化する。
イラン軍、トルコ軍が暗黙の連携によって、PKKでを国境で挟み撃ちにするようにもなった。これまでイラクからイランに抜けることができたゲリラが使う山岳の「けもの道」でさえイラン軍によって封鎖された。また国境地帯のPKK前線拠点フネレへは、イラン軍が連日、迫撃弾攻撃を加えている。
PKKはKADEK(クルディスタン自由民主会議)を経て、2003年、KONGRA-GEL(人民会議)へと組織再編をしたのだが、なぜイランでの武装闘争路線を打ち出したのか、そしてなによりPJAKの政治的獲得目標がまったく不明瞭であった。イランでの武装闘争に反対だった幹部やゲリラの一部はPKKから自ら脱退するか、党から放逐されるかのいずれかの道をたどった。
![]() 【PKKがイランで結成したPJAKのウェブサイト(FILE)】 |
その後、イランでの非合法路線は強化され、大衆党ではなく、徹底して武装革命党づくりが進められる。
10年ほど前には、イランはPKKが国内で活動さえしなければ、国境内の山中に限定した軍事キャンプを設けることは「黙認」していた。隣国トルコに緊張を強いる道具となりえるからだ。
「クルディスタンを分断するそれぞれの国にあわせた闘争方針を打ち出す」とPKKはするが、なぜいま、イランで武装闘争が必要なのか、明確ではない。なによりPKK自身が、明確にしていないのだ。
「PKKがイランで武装闘争を急激に過激化させたのは、アメリカの思惑に応えるためだ」「PKKをアメリカが支援している」という記事や分析がここ数年、トルコメディア、クルドメディア、そして欧米の一部研究機関にも見られるようになった。アメリカはPKKをテロ組織としているものの、イランを撹乱させてくれるのであれば、「有効に使えるカード」と認識している、という見方だ。
これがたとえ事実としても、アメリカが意図的にPKKを操っているのではなく、むしろPKK側がアメリカに自身の存在価値を認めてもらおうという保身術的な要素が強いのではないか。イラク・クルドで政治家や組織を取材しながら、少なくない数の人びとがこうした認識を持っていることを感じてきた。
アメリカにとっては、イラン政府を揺さぶる有効なクルド勢力とは、KDPI(クルディスタン民主党イラン)やコマラが前提であり、PKKではない。レバノンのヒズボラはイランやシリアの後ろ盾のもとに活動をしているといわれるが、PKKにはもう何の後ろ盾もない。
あたかも自ら意図して利用されるかのようにしながら存在を維持し、またそうせざるをえないかのような状況に、いまPKKはあるのではないだろうか。それは世界に無視され続けてきた悲しきクルドの歴史そのものであるようにも見える。
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イラク・トルコ・イラン・シリアにまたがるクルディスタン。分断民族クルド人とは。クルド問題とその他の地域も取材中(坂本卓/アジアプレス)






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