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季刊誌 北朝鮮内部からの通信〜リムジンガン 第2号・夏号
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ico_new.gif北朝鮮―「表現の自由、言論の解放が必要です」[若者の声] リムジンガン
23歳青年が考える祖国の発展の条件 2
中国のような改革を
リム 中国と聞いて思い浮かぶものは?
キム 中国は朝鮮と同じ社会主義国だが、特色ある社会主義国ということになっている。しかし、看板は社会主義国でも…

ico_new.gif北朝鮮経済官僚極秘インタビュー リムジンガン
我が国の経済動向 13
「人は飢えとは妥協できない」
ケ・ミョンビン:さて、その食糧専売制の結果はどうだったのか? それは食糧供給体制を、決して以前の「配給制」に戻そうとするものではなかった…

ico_new.gif北朝鮮―映像取材ルポ 平安北道朔州(サクジュ)郡を行く 2 リムジンガン
[解説]辺境の軍需産業都市は寂獏としていた(承前)
実際に訪れて見てみると、金正日の論文で強調されていた、こぢんまりして上品な地方産業は影が薄く第二経済委員会傘下にあり、大口径の曲射砲を生産する…

ico_new.gif偽ドル[北朝鮮のことば] リムジンガン
平壌市の黄金原(ファングムボル)駅とキョンフン通り周辺の外貨商店(外貨でのみ販売する店)も、すっかり夜の闇に包まれた。いつしか人影も途絶え、もう両替をしに来る客もいそうにない…

ico_new.gif北朝鮮―「私は政治犯収容所に10年いた」 リムジンガン
北倉(プクチャン)18号管理所出所者の証言 12
「第18号管理所」事件
 ●事件の発端「申訴事件」(承前)
申訴者を放っておいたら自分たちが危ないということをよく知っているXの一派は、検閲員がテープを手に入れて平壌へと戻るやいなや…

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小倉清子のカトマンズジャーナル〜ネパールの歴史を、現場で目撃してきて思うこと

ネパールの歴史を、現場で目撃してきて思うこと

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ネパールに住んで15年。この間、たまに日本や他の国に短期間出かける以外は、ずっとネパールに根をはやして生きてきた。その根っこは、もはや簡単に引き抜くことができないほど、深く広がっており、すでに何年も前に、この地で終わろうと覚悟を決めている。

私の運命を変えたのは1990年の民主化運動を目撃したことだったが(このときには日本での仕事を休んで、短期間の滞在だった)、その後のネパールの歴史の変化を、まさに現場で目撃できたことは、本当に幸運だったと思う。

とくに、こちらに定住した1993年以降は、主な政治的イベントのほとんどを、その中心で身をもって体験することができた。到着直後に経験した、93年5月に亡くなったUMLの書記長マダン・バンダリの最後のインタビューから始まり、2001年の王宮事件、その後、マオイストの取材を通じて体験した数え切れないほどのイベント。そして、ギャネンドラ元国王のクーデターに始まった急展開。2006年4月の19日間の第二の民主化運動。

その後に始まった和平プロセス。そして、今回の共和制への移行。シンドゥパルチョークで国軍による空爆に巻き込まれたり、ロルパで国軍に包囲されたり、国王派にさまざまな嫌がらせをされたり、デモ隊のなかにいて警棒で殴られたことも数え切れないほどある(今でこそ言えることだが、実は、警官に殴られて手に負傷をしたこともある)。

こうして、自身が当事者になったこともたくさんあったが、私が幸運だったと思うのは、こうしたイベントを体験するだけでなく、書いて発表する機会を授けていただいたことだと思っている。

ときには日本あるいはネパールの雑誌・新聞に、書籍の形でも日本ばかりでなく、ネパールやインドで出版する機会をいただいた。マオイストと和平プロセスに関しては、さまざまな英文レポートの形で、書く機会をいただいた。こうした機会を与えてくれたこの国に、心から感謝したい。

さて、最も最近の“目撃イベント”だが、それは28日の制憲議会の最中に起こった。「共和制実施」の投票が終わり、結果が出るのを待っているときのことだった。

鮮やかな青いサリーを着た女性が、自分が履いていた水色のサンダルを手に取り、男性に殴りかかったのだ。女性は、スルケット郡選出の統一共産党の議員カマラ・シャルマ。殴りかかられた男性はネパール会議派のプールナ・バハドゥル・カドカ元内務大臣だった。私は女性が「あなたが私の夫を殺したのよ!」と叫ぶ声も聞いた。

女性議員は、立候補者だった夫が何者かに射殺されたあと、急きょ、夫に代わって立候補し当選した。UMLは、この事件の背後にNCのカドカがいると主張している。女性議員がどういう経緯でカドカに殴りかかったのか知らないが、彼女の叫んだ言葉からも、カドカに対する怒りが原因であることは確かである。この出来事を目撃したプレス席の記者のなかには、「カマラ・シャルマはやるべきことをした」と喝采をした人もいた。

私も同じ立場だったら、彼女と同じ行動をとっただろう。“長い1日”のあとに起こった、なかなか刺激的なイベントだった。