28日に「起こらなかった流血」
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将来、ナラヤンヒティ王宮に作られることになる博物館には、どうやら人の目を引くような展示物はほとんどないようだ。ギャネンドラ元国王は、エメラルドやダイヤモンドを散りばめた王冠や、シャハ王家に引き継がれた品々を政府に引き渡すつもりはないようである。
先日、王宮内を視察した内務省高官は、「王宮とは名ばかり。水漏れがするような建物がたくさんある」と、王宮内の荒廃ぶりに驚いたというコメントをしていたが、おそらく、2001年のあの事件以来、ちゃんと維持されていなかったのだろう。
一方、政府は昨日、ギャネンドラ元国王の義理の母ラトナと、祖父トリブバンの内縁の妻サララが、ナラヤンヒティ王宮の現在の住居に住むことを許可することを決定した。さらなる“温情措置”に、すでに巷からは批判の声が出ているが、マオイスト閣僚もこの決定に反対はしなかったそうである。
さて、昨日発売の週刊誌「Nepal」に「起こらなかった流血」というタイトルの記事が掲載されている。マオイスト側との何度かにわたる極秘会見のあと、5月23日にシャングリラ・ホテルで開かれたアナンタ(ロルパ出身のPLA副指揮官)とネパール軍将軍との会見で、マオイスト側に王制維持に対する意向がまったくないことが明らかになったあと、王室はネパール軍の将軍らとともに、28日の制憲議会初日のために、ある計画を立てた。
この日は、マオイストが王宮を包囲するという噂が流れていたが、デモ隊が王宮に押し寄せようとした段階で、王宮内の軍が発砲をして、デモを阻止する。その混乱を利用して、国王側に有利な状況を作り出すという計画だったという。
しかし、マオイストの計画は、王宮ではなく、制憲議会が開かれたナヤバネスワルの国際会議場を包囲するというものだった。
28日、共和制が宣言されるまで、議員を会議場内に閉じ込めるという計画だったという。王室は会議場の付近で爆弾を爆発させて、マオイストが王宮のほうに向かうよう挑発を試みたが、成功しなかった。
何ともはや、いい加減な情報に基づく、いい加減な計画だと思うが、結局、思い通りに事が進まなかったため、仕方なく元国王は共和制を受け入れた。コイララ首相の娘スジャータが共和制宣言後に逃げるようにして国を離れたことにも理由があることが、この記事には書かれている。
何よりも、数々の“極秘会見”を暴露していることが面白い。
さて、同誌には、ギャネンドラと息子の関係悪化に関する記事も掲載されている。父親は息子と同居した場合、自身の身に危険が及ぶと感じたために、ナガルジュナ離宮に移ることを要請したのだという。荒廃しているのは王宮だけではないようだ。




