人が“資源”と呼ばれる時代に(8)
〜「人的資源」の発想が奪う命と尊厳〜
![]() 【国家総動員態勢について知らせる戦時中の「週報」(内閣印刷局発行)。人を“資源”とする考え方はこの時代に遡る】
|
密かに進む国家総動員計画と資源局
国家総動員計画と資源局
「資源分類表」を含む「暫定総動員期間計画」を作成したのは、資源局という官庁であった。1927(昭和2)年5月27日、勅令として公布された資源局官制の第1条には、次のような規定がある。
「資源局ハ内閣総理大臣ノ管理ニ属シ左ニ掲グル事務ヲ掌ル
一 人的及物的資源ノ統制運用計画ニ関スル事項ノ統轄ノ事務
二 前号ノ計画ノ設定及遂行ニ必要ナル調査及施設ニ関スル事項ノ統轄ノ事務
三 前二号ノ統轄ノ為ニ必要ナル事項ノ執行ノ事務」
(『国家総動員史』資料篇第三 石川凖吉著 国家総動員史刊行会 1975年 17頁)
資源局は戦争に備えて国家総動員体制を構築するための中央機関として発足した。
資源局が1930年に作成した文書「資源の統制運用準備施設に就いて」では、資源と統制運用はこう定義されている。
「茲に資源とは国力の源泉を謂ふのである。随って資源の綜合は即ち潜在的の国力其れ自身である。斯るが故に所謂資源は其の範囲極めて広汎であって、人的物的有形無形に亙り、依って以て国力の進展に資すべき一切の事物を包擁するのである。而して其の統制運用とは資源利用の過程に適切なる規整を加えて、其の最大能率を発揮せしむることを謂ふのである。換言すれば、資源統制運用の要は有事に際し国の利用し得べき一切の資源を挙げて之を統一的に按配し、国軍の需要を充足すると共に、国民の生活を確保し、以て最大限度に国力を発揮せしむるに存するのである」(前掲書 107頁)
この定義はあくまでも、計画を立て、統制し、命令を下す側の視点からなされたものだ。
主体性は「統制運用」する側にあり、利用される対象として客体化し、手段化されている。
統制の力の作用は上から下へと貫徹し、その力によって「人的資源」は有事すなわち戦争のために「最大能率」の発揮を強いられる。消耗品として扱われる。
ここには、「人的資源」とされる側が実はそれぞれ人生のある生身の人間であることへの想像はいっさい見られない。
上官からの執拗ないじめにより精神的に追いつめられ自殺した海上自衛官の母親、鈴木佳子(仮名)は、政治家が口にした「人的資源」という言葉に強い違和感を覚え、それが国家総動員法の第1条、
「国家総動員トハ戦時ニ際シ国防目的達成ノ為国ノ全力ヲ最モ有効ニ発揮セシムル様人的及物的資源ヲ統制運用スルヲ謂フ」に出てくることを知った。
「人的資源」という言葉はこのように、国家総動員法制定よりも11年前に、すでに国家中枢の官僚機構のなかで使われていた。すなわち、国家総動員法へのレールは資源局の創設とともに敷かれてゆくのである。
〜つづく〜
(文中敬称略)




