玉本英子の現場手帳〜イラクで原爆追悼の会、行われる
![]() 【ハラブジャでは、広島、長崎の追悼の集まりが開かれた/撮影:ヒクメット・ファイード】 |
今年の8月6日。いつもは休みをとる私だが、大阪の小学校で今の戦争について話す機会があった。大阪の多くの小学校ではこの日は「平和登校日」として、平和と戦争について学ぶ。
体育館で映像を見せながら、イラクの子どもたちの現状を話した。黒カーテンで窓をふさいだため、かなり暑くなってしまったにもかかわらず、およそ300人の児童たちが、イラクの子どもたちの映像に熱心に向き合ってくれた。
話の後、校長先生の案内で校内を見学した。廊下で児童たちのおしゃべり声が耳に入った。
「爆弾当たって死んだ女の子、苦しかったやろうなぁ」
「友だちが殺されて、あの子らホンマ大変や」…。
映像に出てくるイラクの子どもたちに心を寄せてくれていた。胸が熱くなった。
夜、イラクの友人たち4人から国際電話がかかってきた。そんなことは珍しい。
「今日は原爆の日だから、追悼の気持ちを伝えたいと思って…」。ひとりがそう話してくれた。
広島での式典の模様は、イラクのテレビニュースの中でも紹介されたという。
![]() 【06年6月にハラブジャで化学兵器被害者協会とともに開いた日本被団協の「原爆と人間展」。大やけどを負った被爆者たちや、瓦礫と化した町の写真を見て、今のイラクのようだ、と見学に来た小学生たちは話していた/06年6月撮影:玉本英子】 |
今日はハラブジャ化学兵器被害者協会のヒクメット・ファイードさんから写真がメールで届いた。
ハラブジャ市内で、広島・長崎の追悼の会が開かれ、市民およそ100人が集まったという。
88年3月16日に当時のイラク軍による毒ガス爆弾で5000人が殺されたイラク北東の町ハラブジャ。イラクのヒロシマ=ハラブシマ、とも呼ばれるだけに、市民の広島、長崎への関心は高い。
ヒクメットさんは、こうも記していた。
「大量殺りく兵器の被害者という意味ではハラブジャとヒロシマは同じ。ヒロシマ、ナガザキ(と向こうでは発音する)を忘れてはいけない。殺りく兵器が2度と使われないように、自分たちも被爆者から、もっと学ばなければ」。
その言葉に、関心の低さから被爆、戦争体験の継承が危ぶまれている日本の状況を振り返り、複雑な気持ちになった。






