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季刊誌 北朝鮮内部からの通信〜リムジンガン 第2号・夏号
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ico_new2.gif北朝鮮不動産取引の怪 リムジンガン
〈現場ルポ〉画家アン先生の住宅売買交渉
二○○六年一二月、リムジンガン記者、リ・ジュンは咸鏡南道某市内のある家で、現金による住宅の売買が行われるという情報を聞きつけ…

ico_new2.gif北朝鮮不動産取引の怪 リムジンガン
〈解説〉住宅闇市場と横行する不正腐敗 4
住宅闇取引に暗躍するブローカー
次に住宅の闇購入にどのような手続きが必要で、それに伴ってどのような不正が行われるのかを見てみよう…

北朝鮮―スタイルコート [民衆の暮らし] リムジンガン
女性たちの間に「スタイルコート」がにわかに流行し始めた。「スタイルコート」とは、襟元に毛皮がついていて腰のくびれを強調した外国製の女性用コートである…

北朝鮮不動産取引の怪 リムジンガン
〈解説〉住宅闇市場と横行する不正腐敗 3
国家住宅の割り当てと交換
それでは、国家住宅の購入もしくは交換の可能性はあるのだろうか…

北朝鮮―嘱託殺人事件 下[事件・事故] リムジンガン
自分が勝ったことに気をよくしたテソンは考えた。自分の妻が何もチュンシルでなければならない理由はない、テソンと一緒になりたいという女は他にいくらでもいる、と…

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揺れるカシミール 廣瀬和司の緊急現場報告/8月24日

揺れるカシミール 廣瀬和司の緊急現場報告/2008/08/24

080901_APN_hirose_kashimir0.gif2年半ぶりのカシミールを、空から眺めるのは格別だった。田園や森林が織り成す緑の絨毯が一面に広がっているのだ。後席のアメリカ人も「アメージング!」と声をあげる。カシミールの美しさは変わらず私を歓迎してくれたようだった。

しかし、そんな暢気な気分は空港を出るとすぐぶち壊された。タクシードライバーが「気をつけてくれよ、テンションがあがっているから。」という。もともと、今日はゼネストだったのは知っていたので、そのせいなのかと思うと、朝から外出禁止令が施行されたのだという。人びとが外に出るのを防ぐために、7〜8人の小隊規模の準軍隊の兵士が200mぐらいおきに配置されている。通り過ぎる私の乗る車への兵士たちの視線は、獲物を狙う獣のように鋭い。私はこれまで何度もカシミールを訪れているが、こんなあからさまなのは初めてだ。

兵士たちは車を止めるたびに、なぜ外に出ているのか、どこから、どこに行くのか、乗っている客は誰なのか、運転手のラティーフさんに矢継ぎ早に質問をする。最初から外出禁止令になのに車にのっているほうが悪いと言わんばかりで、敵意をむき出しにしてくる。幸い彼は通行許可証を警察に作ってもらっていたので、通ることができる。彼はホテルのオーナーでもあり、自分の客を空港まで送るのに必要だったのだ。

途中、病気の子供がいるので、病院まで乗せて欲しいと頼まれた。六歳ぐらいの子供は母親に背負われてぐったりしている。車があっても許可証をないと通れないため、許可証がありそうな、動いている車を捕まえようとしていたのだ。しかし、すぐ後ろの車がその任を請け負ってくれた。

3箇所目のチェックポストでのことだった。許可証を見せろ、というところまでは普通だった。その場所の将校がラティーフさんに降りてくるように指示すると、いきなり彼を棒で打ち据えてきたのだ。周りにも兵士がいるので彼は抵抗できず、ただ打ち据えられるだけだ。許可証を持っていても、外に出ているのが気に入らないのだ。私が「止めろ、止めろ」と叫ぶと、他の兵士がお前も殴られたいのか、と言わんばかりに睨んできた。

何とか逃げ出して、ルートを変えて裏道を走った。ラティーフさんは「あの糞野郎ども、ただカシミール人が気に入らないだけなんだ」と打たれた腕と尻の痛みを気にしながらつぶやく。 

裏道に入っても、チェックは続いた。そのたびにラティーフさんが暴力的な視線を浴び、責められる。許可証を持っている、と主張しても「それがどうしたんだ!」という声が飛んでくる。我慢できなくて「私は旅行者で、日本人で、宿に行くだけなんだ」と言うと「お前の出る幕じゃないんだ!」と兵士に怒鳴り返された。

宿に着くと、主人は旧交を温めるもなく「お前は色んなチャンスを逃したな。ここら辺は緑の旗(パキスタンやイスラームを象徴する)と黒い旗(一連の抵抗で死んだ使者に弔意を表す)で埋め尽くされていたんだぞ。先週の月曜には道には集会に参加しようと方々から来るバスや人びとでいっぱいだった。

こんなことは90年代の武装闘争が盛んだった頃でもありえなかった」と私を責める。それに驚いたのは、「独立運動なんて、俺たちの商売を邪魔しているだけだ」と言ってやまなかった彼が、いまでは「独立だ!」と言い出しているのだ。そんな彼を変えてしまった今回の騒動はなぜ起きたのだろうか?この問題の背景はとても複雑だ。

事の発端は、カシミールにあるヒンドゥー教徒の聖地「アマルナート洞窟」の土地の譲渡問題だった。
このアマルナート洞窟寺院はカシミールの夏の州都スリナガルから140km、標高3888mの山岳地帯の奥深くに位置し、洞窟のなかにあるシヴァリンガに見立てられ氷で自然形成された氷柱を見に、毎年7月〜8月の巡礼期間に40万人のヒンドゥー教徒が訪れる。この地を訪れるには、谷沿いの登山道を4日ほどかけて、徒歩で登らなければならない。

08年5月、シンハ州知事(彼は元陸軍中将でカシミール人ではない。また、通常、行政の実権は州首相が担い、知事は儀典の出席や公的機関の名誉的な長を務めるのみである)指導の下、100エーカーの寺院周辺の森林の土地を南部の州外の人々で構成される寺院管理委員会(通称SASB。委員長はシンハ氏)に譲渡する決定がなされたのである。SASBは03年にできた団体で寺院の管理や巡礼ルートの整備などを任され、それまでそれを担ってきた地元のイスラーム教徒やヒンドゥーのブラーマンが仕事を奪われるという背景もあるらしい。またシンハ氏には聖地をイスラーム教徒から取り戻す、という意図があったといわれる。

カシミールには臣民制度という藩王国時代からの古い決まりで、カシミールの土地はカシミール人にしか持つことができない。そのため、カシミール人の土地に対する愛着と特権意識は相当なものだ。よそ者に自分たちの土地を占有されるのを激しく嫌うのだ。

譲渡が発表されるとカシミールのイスラーム教徒たちは反発し、スリナガルを中心とする各地で抗議でもが頻発し、それに治安部隊や警察が発砲して、死者が出たため、事態は収拾不可能となり、一〇日間にもわたるゼネストの結果、譲渡は撤回された。

すると、今度は南のジャムーを中心とするヒンドゥー教徒たちがそれに反発した。インドのジャム・カシミール州はカシミールのイスラーム教徒が多数派を占め、南のジャムーや最北のラダックの人びとは自分たちが省みられないカシミール中心主義を常日頃から苦々しく思っていた。ヒンドゥー教原理主義団体であるインド人民党(BJP)、世界ヒンドゥー協会(VHP)、シブ・セーナ、バジラング・ダルを中心とするアマルナート闘争委員会が結成され、それに一般市民が加わった。

彼らの抗議は過激だった。イスラーム教徒の家を焼いたり、時には警察署さえも襲撃した。決定的だったのは、山岳地帯であるカシミールへ物資を運ぶ唯一の補給路である国道一号線を封鎖してしまったのだ。また、車を止めるだけでなく、カシミール人のドライバーのトラックを襲い、ドライバーに火炎瓶を投げるなど暴行をし、死者も出てしまった。また、カシミール人以外のドライバーも怖がってカシミールへ入らないようになった。

ジャムーで警察や軍隊も取り締まりはするが、ほとんど形だけのものだ。外出禁止令が発令されて人が外に出ても、帰るように諭すだけだ。残念ながら、インドではヒンドゥー教徒からイスラーム教徒への暴力には寛容なのである。しかし、カシミールでは棒で殴られ、撃たれる。

カシミールのすべての経済は破綻してしまった。農産物は出荷できずに腐っていった。食料品、医薬品などが欠乏し始め、新聞などもページ数を減らして発行する始末だった。

ライフラインを絶たれたカシミールの人びとは激しく反発した。インド政府は、カシミールはインドの不可分の領土であるという。しかし、それなのに兵糧攻めをするようなインド政府のやりかたに背を向けたのだ。それまで、インドは憎いが本当に分離、独立するのは難しいし、リスクが高い。インドなかで経済成長の恩恵を受けてなんとか上手くやっていければいい。殆どの人びとはこれまでそう思ってきた。だが、経済封鎖をされて、人びとは誰もインドともに居ようとは思わなくなってしまった。

そして、人びとはパキスタンへとつづくムザッファラバードへの道に活路を求めた。国道一号線は戦後軍需物資輸送用にできたもので、もともとこの道が古くからカシミールと外の世界を結ぶムガールロードと呼ばれる通商路なのである。

8月12日、ムザッファラバードへ行こう!の掛け声のもと、行進は始まった。だが、行進が北の町ウリを過ぎたあたりで事態は変わった。デモ隊は治安部隊から銃撃され、分離独立派のリーダーの一人であるシェイク・アジズが銃弾を受けて死んだのだ。

そのニュースが伝わるや、全カシミールは抗議のデモに入った。このデモはかつてないものだった。警察署が襲われ、準軍隊(CRPF)の陣地が破壊された。こんなことは、見たことがなかったし、陣地を破壊するなどありえないことだった。衝突が繰り返され、五日間で子供を含む二一人が亡くなり、数百人が怪我をした。

私はこの十年カシミールの独立運動を見てきたが、デモに参加するのは活動家か鬱憤のたまった若者だけだった。それ以前は市民も参加していたが、弾圧の結果少なってしまっていた。しかし、今は違う。私の友人は「これは革命だ。90年代の闘争は銃を持ったミリタントが中心だったが、今は市民が主役だ」という。一般市民が自ら参加しているのだ。8月18日、22日の集会は手に緑の旗と黒い旗を持った数十万人規模の人びとが集まった。この集会には政府は規制をかけなかったので、平和裏に行われた。

確かに問題の発端はアマルナート寺院の土地の問題だった。だがその後、ジャムーとの対立となり、いまはインドからの独立運動へと変わっていったのである。

宿の主人は最近のいきさつについて愉快そうに語ってくれる。「道が封鎖されて巡礼者たち(八月一六日までが巡礼期間だった)の食料が無くなった。俺たちは炊き出しをして、巡礼者に配った。その後、今度は俺たちの食料が無くなってきた。すると、田舎の農民たちがトラックに米を積んで持ってきて、貧しい人たちに配っていたよ」という。

地元の人権活動家に連絡をすると、ジャーナリストでさえ動くのが難しいという。「今朝も二人の地元のニュース局のカメラマンがCRPFに殴られた。チャンネルも配信停止させられた」という。事実を和らげて伝えるインドのテレビ局に比べ、正確に伝える地元のニュース局は政府にとって嫌な存在なのだ。また、それで人びとを刺激するのを恐れている。

夕方五時ごろ「近くで外に出た親子が撃たれたらしい」と宿の主人が言う。地名を聞くと半径1kmのごく近い場所だ。銃声は聞こえなかったが、同じような情報が他からも入ってきた。

それによると子供のほうが様子を見るために、外に出た。CRPFが銃撃をしたところ、父親も助けようと出てきた。そして父親も撃たれた。父親が死亡し、子は重傷だという。警察の発表では、彼らが警察署を放火しようとしたので発砲したということだった。しかし、その地区に警察署は無かった。

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