小倉清子のカトマンズジャーナル〜“危険地帯”にあえて行くこと
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アフガニスタンでペシャワール会のメンバー、伊藤和也さんが殺害された。
しっかりとした意思と目的をもって、現地の社会に根付いて活動をしていた若者の死には、本当に心が痛む。心よりご冥福を祈りたい。
悪化する治安のなかで、危険を承知で活動をしていたのだろう。アフガニスタンは、まちがいなく、紛争時のネパールと比べても、何倍も危険なのだろうと想像がつく。
“安全”が前提の社会に住む今の日本人には、「危険を承知で現地に行く」という行為がなかなか理解できないのだろうと思う。日本のメディアが、今回の事件について、どんな捉え方をするのか知らないが、アフガニスタンのような危険地帯で、伊藤さんのように根を張って活動をする日本人の若者がいることを大事に思いたい。
私も紛争中、カトマンズの人や外国政府からは“危険”とされていたロルパやルクムを何度も訪れた。
“危険度”が上がっても、何度か通ううちに、とくにロルパは、私にとってネパール国内で最も安全な土地と感じるようになっていた。当時マオイストが支配するロルパでは、泥棒などの犯罪行為が極端に減り、荷物を放置してどこかに行っても、物がなくなるということもなかった。
マオイスト取材が目的だから、当然、彼らと接触をもつわけで、したがって、ロルパにいるかぎりは、ある程度、彼らの保護下にあるという感覚で歩くことができた。軍の部隊に包囲されたり、治安部隊のチェック・ポストで引き止められたりしたことはあったが、今から思えば、“危険”と騒ぐほどのことでもない。
命にかかわる経験と言えば、ロルパからは遠く離れた、首都に近いシンドゥパルチョークのトカルパでした空爆体験だけである。このときには、本当に間一髪のところで命が助かる経験をした。神様に感謝をしたい。しかし当時は、空爆体験そのものよりも、「どうやってネパールに居続けるか」という心配に頭を奪われており、取材を止めようなどとはこれっぽっちも思わなかった。
なぜか当時は、「ああ、これで、まちがいなくネパールを追い出される」と思い込んでいたのである。ネパールの歴史が最もダイナミックに動いている時期に、ネパールを出ることなど考えることもできず、もし、国外追放処分にあいそうになったら、ロルパに逃げ込もうと思っていた。
不法滞在となっても、何とか国王の政権が倒れるまで、ロルパの山の中で過ごそうと本気で考えていた。今から思うと、私のような一介のジャーナリストを国王政府がかまうことなどあるはずもなく、ばかげた考えのように思えるが、当時は本気でそう考えていたのである。
さて、ダハル首相ご一行が今日、帰国した。
早速、バルワタルにある首相官邸に引越しをしたそうである。息子一家だけでなく、父親や娘一家を含めた11人の家族が官邸に住むことになるそうだ。これは歴代首相のなかで、NCのデウバに次ぐ“大家族”だそうである。そのために、高価な家具が入れられたとさまざまなメディアが伝えている。「私有財産は党に渡した」と豪語しているプラチャンダも、自身の家族を国民に養わせることには無頓着なようである。





