小倉清子のカトマンズジャーナル〜行方不明者の村
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今回の西ネパール・ツアーには、これまでカトマンズ盆地を出たこともない若手の女性ジャーナリストも参加した。飛行機に慣れていない人がほとんどだったため、ダンガディまでの行きの飛行機のなかで飛行機酔いをした人も複数いた。
出だしから、どんなことになるかと心配したのだが、連日、早朝から夜までのハード・スケジュールであったにもかかわらず、皆、興味をもって取材をしてくれた。
とくにマオイストの駐屯地は、私ともう一人のジャーナリスト以外は、全員が初めての訪問だったため、皆、良い経験になったと感想を言っていた。ネパールの女性ジャーナリストは、女性問題の取材ばかりをさせられて、政治に関する取材はなかなかさせてもらえない。
今回のツアーは、彼女たちに、直接、マオイスト軍のメンバーや地元の政党活動家、そして紛争の被害者たちに会ってもらい、少しでも現在のネパールの状況に肌で触れてもらうことを目的として計画したものだった。その目的は十分に果たされたと思っている。
彼女たちだけではなく、この取材ツアーは、私にとっても新しいテーマに出会う旅だった。これまで話に聞いたり、記事を読んだりしていたものの、実態についてはほとんど知らなかったバディの人たちの村を訪ねた。この村では、今も売春を職業としている女性たちがいる。
昨年、カトマンズでバディ解放運動をリードして注目の的となった女性のウマ・バディさんにも会うことができた。
カマイヤの人たちの集落では、彼らがいかにして公有地を占拠し、運動を展開しているか、話を聞くことができた。西ネパールの大地主の“悪行”に関しても、たくさんの例を聞くことができた。カマイヤとして知られたタルーの人たちが、地主の下でいかに虐げられた生活を送っていたか、実際に話を聞いて驚いた。
前のブログでも書いたが、私が個人的に最も衝撃的だったのは、2002年に非常事態宣言が発令されているあいだに、大勢の村人が近くの治安部隊に拘束されたあと行方不明になっているタルーの村だった。彼らから行方不明者のリストをもらってきて、帰ってから、早速、ICRCと国家人権委員会が公表している行方不明者リストを調べたところ、彼らの名前はどこにも載っていなかった。
その数が尋常ではないため、この件については、もう少し調べたいと思っている。西ネパールの平野部では、かつての王室ネパール軍の兵舎がある周辺の村で、大勢の村人が行方不明となっている。
この村のように、行方不明者の名前がどの機関にも登録されていない人たちがかなりの数に上る村が、他にもある可能性がある。政府側からも、マオイスト側からも見放され、メディアや人権活動家の目も届かない、こうした村があることを知ったことが、今回のツアーの最大の収穫だった。
http://www.asiapress.org/apn/archives/2008/09/11224245.html





