リムジンガン書籍版
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季刊誌 北朝鮮内部からの通信
リムジンガン 第4号
リムジンガンのご案内

【会員記事】涙で描いた祖国〜北朝鮮難民少年チャン・キルスの手記(41)  死地で過ごした十日間[その15]
豚を賄賂にして豆満江をわたる
ぼくは中国に逃げ出して、家族を救い出すために北朝鮮に舞い戻りました。そして、もう一度中国に出ようとしましたが、うまくいきません。豆満江沿いの村に住んでいたおばあさんを訪ねてすがりました。おばあさんは全財産と言ってもいい、一頭の豚を引き連れて国境警備隊を訪ね、軍人に差し出しました...

【会員記事】涙で描いた祖国〜北朝鮮難民少年チャン・キルスの手記(40)  死地で過ごした十日間[その14]
豆満江と中国国境警備隊 わたしたち一家は豆満江を越えて中国に渡りました。見ただけで震えが来る中国国境警備隊の兵営を避けるため、ぐるりと遠回りしました。―ファヨン(キルスの従姉妹)

【会員記事】涙で描いた祖国〜北朝鮮難民少年チャン・キルスの手記(39)  死地で過ごした十日間[その13]
国境を越えて中国に 13歳の弟・ヒョクチョリを連れて中国に脱出して走り逃げる姿です。 ―ミング(キルスの従兄弟)

【会員記事】涙で描いた祖国〜北朝鮮難民少年チャン・キルスの手記(38)  死地で過ごした十日間[その12]
お腹が空いて豆満江を越えたことが、何の罪なのでしょう 北朝鮮に残してきた家族を救い出そうと、中国から豆満江を越えようとして北朝鮮の国境警備兵につかまったぼくの姿。 ―キルス

【会員記事】涙で描いた祖国〜北朝鮮難民少年チャン・キルスの手記(37)  死地で過ごした十日間[その11]
銃を持つ強盗 配給がなくなり、住民たちは闇市場で中国製のものを売って生計をつないでいます。そんな住民をつけ狙って物を奪う安全部の指導員は銃を持った強盗です。 ―キルス

【会員記事】涙で描いた祖国〜北朝鮮難民少年チャン・キルスの手記(36)  死地で過ごした十日間[その10]
あー かゆい ゴキブリ、南京虫 「シラミがいるな」まわりが汚いので、家の中はいつもゴキブリと南京虫がうじゃうじゃいます。 ―ミング(キルスの従兄弟)

【会員記事】涙で描いた祖国〜北朝鮮難民少年チャン・キルスの手記(35)  死地で過ごした十日間[その9]
家のないコチェビ 「アイグー、死ぬところだった」 屋根の上まで人でいっぱいです。客車の中は超満員です。屋根の上で高圧線に頭が触れて感電死するのは、よくある光景でした。 ―ハンギル(キルスの兄)

【会員記事】涙で描いた祖国〜北朝鮮難民少年チャン・キルスの手記(34)  死地で過ごした十日間[その8]
>家のないコチェビ 「ああ、かわいそう」  指導員同務が駅の待合室で物乞いをするコチェビを取り締まっています。 ―ハンギル(キルスの兄)

【会員記事】涙で描いた祖国〜北朝鮮難民少年チャン・キルスの手記(33)  死地で過ごした十日間[その7]
穏城(オンソン)労働教養集結所 咸鏡北道穏城労働集結所に捕まって行きました。食べるものはトウモロコシの実の皮、しぼりかす、菜っ葉そしてとぎ水…。これがぼくの一食でした。 ―デハン(キルスの叔父)

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イラン〜つぶやき日記・アメリカ大使館占拠記念日2【大村一朗】

アメリカ大使館占拠記念日(2)
【翌日、体制支持者らの大々的な参加を伝える新聞】
テヘランつぶやき日記
大村一朗のテヘランつぶやき日記 アメリカ大使館占拠記念日(2)  2009/11/04

こんなに多くの人が、という驚きとほぼ同時に、この国の失業率が20%近いことを思い出した。職を持っていたとしても、イランでは多くは個人経営で、決まった時間に出社しなければならないサラリーマンは少ない。デモは休日でなければ盛り上がらないということは決してないのだ。

行く手に小さな小競り合いが見えた。そこは北からの道路がぶつかるT字路で、やはりこの先のハフテティール広場を目指す人の流れが次々と合流していた。治安部隊が展開し、そこで人々の流れを食い止めていた。ハフテティール広場行きをそこで阻止するつもりらしい。

プロテクターで身を固めた治安部隊は、10人ほどの単位で行動し、騒ぎの場所へゆっくりとにじり寄っては、デモ隊を後退させる。時おり乾いた空砲が聞こえるが、催涙ガスはまだ使われず、衝突も起きていない。しかし、誰か一人でも投石を始めれば、一気に騒乱が始まる緊迫した空気に満ちていた。退路を確保しながら、しばらく様子を見る。カメラを出せるような空気ではない。イラン人ですら、カメラ付き携帯を手で隠すように撮影をしている。デモの取材では小型のデジカメですら目立ってしまう。高画質のカメラ付き携帯を買わなければと痛感した。

道路の向こうで、一人の青年が治安部隊に取り押さえられた。その途端、辺り一帯から、「ウォー」と鬨の声が上がる。この声には、いつも戦慄と武者震いを覚える。身も心も高揚して、一緒に雄叫びを上げたくなる。もし彼らと声を合わせることが出来たなら、恐れはそのまま勇気へと変わり、きっと、怖いものなど何もないという気持ちになるに違いない。僕はこの感覚を得たいがために、恐怖を押し殺してまで、またデモの只中に足を運んできたのではないかとさえ思う。もしかしたら、多くの人がそうなのかもしれない。この戦慄と興奮は、麻薬のような恍惚感を人を与えるのだ。

それからまもなくして、治安部隊の前で後退する人の流れとともに、僕はヴァリアスル広場に戻った。そこもすでに多くの改革派市民であふれ、あちらこちらからスローガンの合唱が聞かれた。

腕時計を見ると、すでに11時半近かった。とっくに職場に着いていなければならない時刻だ。旧アメリカ大使館はもちろん、ハフテティール広場でさえ、この様子ではたどり着けないのは明らかだった。騒乱の前に立ち去らねばならない悔しさと安堵の両方を抱えながら、僕は市バスに飛び乗った。

バスはテヘラン市街を南北に貫くヴァリアスル通りを北へ向かう。行く先々で、気勢を上げる人々の姿を路上に見た。治安部隊との衝突も始まり、催涙ガスに逃げ惑い、互いにタバコの煙を掛け合う人々の姿もあった。

バスは治安部隊のバイク部隊と何度もすれ違う。彼らは無線で連絡を受けては、あちこちを転戦しているようだ。そんなバイク隊の一つが僕の乗ったバスの脇を通り過ぎようとしたとき、道路の向こうから彼らに向けて一斉に投石が始まり、バイク隊も特殊な銃で応戦を始めた。イラン人の乗客たちもさすがに焦って、「ドアを閉じろ、早くバスを出せ!」と運転手に向かって口々に怒鳴っていた。

突然、バスの後部半分の女性エリアから、改革派学生の愛唱歌「ヤーレ・ダベスターニーエ・マン(学友たちよ)」の合唱が始まった。溌剌としたその歌声を聞きながら、僕は思った。続くのだ、この混乱はこの先しばらく続くだろう、と。この国がこれまで、国民と体制の団結を内外に誇示するために執り行ってきたパレードや官製デモは、今、分裂と反体制を叫ぶ場として、変化を求める市民に絶好の機会を与えている。こうした官製デモやパレード、セレモニー、記念日に類するものは、それこそ年に10回以上ある。その一つ一つが危険な暴発をはらんだものなら、はたして政府はその全てに、正しく対処してゆけるのだろうか。(おわり)

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