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保守派の動き(2010/03/31)
ヒンドゥー教の強化を通じて王制を復活させようという動きが、ネパール会議派のコイララ党首亡きあと、突然、表面化してきた。まず、コイララ党首の葬儀のためにカトマンズを訪れたバーラティヤ・ジャナタ党(インド人民党)の元党首ラジナス・シンが、「ネパールはヒンドゥー教国家となるべき」と発言。その後、ギャネンドラ元国王がジャナクプルでテレビのインタビューに答えて「王制は終わったとは思わない」と発言して物議をかもしだした。さらに、ネパール会議派を創設した唯一の生存者であるクリシュナ・プラサド・バッタライ元首相が、「1990年憲法を復活させるべき」と主張した声明を出した。これはつまり、「ネパールはヒンドゥー教を国教とする立憲君主制に戻るべき」と主張したものである。
今日発売の英字紙The Kathmandu Postによると、すでに何年も前に政界を離れているK.P.バッタライが今になって、こうした問題発言をした背後には、NC内の超保守派で超反マオイストとして知られるクム・バハドゥル・カドカやゴビンダ・ラジ・ジョシがいるのだという。これらの政治家がコイララ党首が亡くなったあと、バッタライに近いNC政治家のオムカール・シュレスタの家で会合を開き、バッタライにこうした発言をさせたのだと記事にはある。
ビジャイ・ガッチャダール副首相も先日、「何としても、新憲法にはヒンドゥー教国家であると書かせる」と豪語した。カドカとジョシ、ガッチャダールはかつてネパール会議派の政権で、権力を悪用して、最も悪質な汚職をしていたことから、「KGB」としてメディアや国民から非難の対象になっていた政治家である。したがって、これらの政治家の試みが実現することは、もちろんありえない。しかし、先日も書いたように、こうした悪質な政治家が暗躍する土壌を作っているのは、主要3政党のリーダーがあまりにも不能で情けないからである。過去にセットバックしようとする保守派のこうした動きは、ある程度予測されたものだ。今でこそ、「影響はない」と明言してすませることができるが、主要政党がこのまま態度を改善せずにいたら、彼らが勢力を強める可能性を完全に否定できない。
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コイララ党首と王宮事件(2010/4/1)
今日は、ネパール会議派のギリジャ・プラサド・コイララ党首が亡くなってから13日目。各紙がギリジャ・バブの追悼特集記事を掲載している。なかでも興味深いのは、日刊紙Nagarikに掲載されているチャクラ・バストラのインタビュー記事である。バストラはコイララと姻戚関係にあるだけでなく、コイララ政権で外務大臣を務めた政治家だが、和平プロセスに入ってからは、コイララとマオイストの関係を不満として、コイララ党首と距離を置いてきた。
バストラのインタビューのなかで特に興味深いのは、2001年に起こったナラヤンヒティ王宮事件に関するものである。バストラは当時、コイララが首相を務める政権の外務大臣だったが、彼はこの事件の首謀者はコイララも殺害する計画だったと話している。事件が起こった晩餐会に、コイララ首相も招待される話しがあったが、この事件で亡くなったビレンドラ国王自身が招待することを拒絶したというのである。それだけでなく、事件の翌日、亡くなった国王夫妻らの遺体を荼毘に付すためにパシュパティナート寺院に運ぶサブ・ヤットラで、コイララ首相が乗った車が発砲されたとバストラは話している。そして、当時皇太子だったギャネンドラを利用して、この事件を計画したのはインドとアメリカ政府だったとまで言っている。
内戦中、コイララ党首がインドでマオイストのプラチャンダらと極秘で会見したときの逸話も面白いが、王宮事件に関する証言は衝撃的である。事件のあと、コイララ党首は「王宮事件は"グランド・デザイン"に従って起こったのだ」と繰り返し話したが、この言葉の背後には、あるいはコイララ党首しか知らなかった事実が隠されているのかもしれない。









