ホテルに'フィルム'を隠したが、恐怖に震えた
ヨハネス シューンヘル
【ドイツ人の文化芸術評論家ヨハネス シューンヘル(Johannes Schoenherr)氏の旅行記を連載します。[平壌映画旅行記] ニューヨーク大で映画を選考したヨハネス氏は北朝鮮の映画に興味を持ち、1999年に平壌で開かれた朝鮮映画祭に参加します。その時の経験を元に2002年にTrashfilm Roadshows (published by Headpress, Manchester)を出版しました。この本の一部を抜粋し連載する事になりました。ヨハネス氏は現在日本在住で、旅行、映画、音楽などのフリー作家として活動中です。】
僕達はショーケースを足早に通り過ぎた。ソク同志は展示場にこなかったし、チェ先生と観覧館の案内員だけがいた。僕たちはドイツの展示品のところでは時間を費やしたのだが、この時は僕が案内員になった。案内員はそれらの物について知識がないようだった。
そこにはベルリンの壁の彫刻(作家Luise Rinser)があったし、エルンスト・テールマンの小さな青銅像(テールマンは1930年代のドイツ共産党の指導者で、1933年にヒトラーに対抗して選挙に出た人物)は西ドイツ共産党の贈り物だった。西ドイツ共産党は東ドイツの支援を受けたが、選挙では2%以上の支持を得たことがない。(実際2%でも十分なのだが)そしてエルンスト・テールマンのバッジは1970年代西ドイツ左派の一グループが送った贈り物だった。
チェ先生は僕が説明した話を全てその案内員に通訳した。二人とも非常に驚く話が時折あった。「何ですって? 共産党が選挙で2%しか票を得られないのですか?」「もちろんです、西ドイツの人々は誰も彼らが好きでありません」僕たちはチャウシェスクが送ったワインの前で、ずっと堪えてきた話をとうとう口にした。「知ってるかもしれませんが、チャウシェスクは1989年に死刑になる前まで、このような贈り物を収集品として持っていました。そして先月には、彼の収集品が競売にかけられていました。世界中から来た人々が彼が貰った不思議なプレゼントを買おうと大騒ぎだったそうです。」しかし、二人ともチャウシェスクが死刑になったという事実さえも知らなかったのである。
平壌に戻るまで僕たちは多くの話をし、しきりに笑った。チェ先生は僕と共にホテルのレストランに向かい、ニコラスは既に部屋から到着し座っていた。チェ先生が少し席をはずした。僕は妙香山での出来事がとても面白かったあまりに、それをニコラスに話し始めた。
突然、彼が会話を遮った。「私は気分は良くなかったです。キム先生が私をスパイと非難したんです。私は今夜、ソク同志と面談をします。ここ(北朝鮮)でスパイと呼ばれることが何を意味するのか分かりますか?」「心配ないですよ」と僕が言った。「私が助けますので」そしてチェ先生に向かって話した。「チェ先生、こちらへちょっと来ていただけますか。問題があるのですが‥」彼女は心配しながら助ける様子で近づいた。「ここにいる僕の友人がスパイとして非難を受けているそうです。 一体どうしたらいいのか‥助けていただけますか?」しかし、僕の要請に彼女は「分かりません」と一言だけ答えて、すぐさまその場から離れた。決していい反応ではなかった。
「一体何があったのですか?」と僕が尋ねた。「実は私がカメラなどをたくさん持ってきたのですよ。私は彼ら(案内員)と距離を取っていた。その上私は外に時々出て行ったじゃないですか。明け方の5時にも出て行ったのですよ。おかげであちこちで本当に良い写真を撮ることができましたが...」彼にはスパイだと疑われるだけの理由があった。常に会議に参加し、輸出工事の施設を見学しなければならない僕とは違い、ニコラスはいつも会議をさぼっていたし、案内員はその度彼を探し歩いたのだ。しかし、ニコラスが帰ってくれば案内員たちは常に明るく笑った。そのためニコラスは外に出て行っても大丈夫だという感覚になってしまったのだ。そうするうちに彼はいつのまにか度を越えてしまったのだ。
「キム先生は2年前、やたらと歩き回るのが好きなオーストラリア人の案内を引き受けたことがあるんです。彼は後ほど西側でドキュメンタリーを1つ作ったらしいのです。それで処罰をひどく受けたようです。だから今回はとても気を付けなければならないのでしょう。私は10時に彼に会わなければなりません。そこでどんなことが起きるか分かりません。ただ、おそらく彼らは私が撮った写真とビデオを見せるように言うでしょう。ビデオは見せることができるが、フィルムはまだ現像したくないのです。」とニコラスが言った。「いいでしょう、私の部屋に隠してあげましょう」と言い、僕たちは古い映画に出てきそうな秘密要員のように周囲を見回しながら部屋に帰った。ニコラスが暫くして僕の部屋にきた。フィルムはビニール袋に入れられていた。
「誰もついてこなかったようです。ここにフィルムとノートがあります。これも隠していただけますか?」「そうですね...これはフランス語で書かれたノートですか? 彼らは私がフランス語をできないことを知っているが.....だがそんなこと関係ない‥」というのも、運命の時間までは5分しか残っていなかったからだ。とてつもない恐怖感が襲ってきた。暗い平壌のホテルの部屋に座り、安宿のホテルだから監視設備は無いだろうと祈ってはいるが、もしものことが起これば(すなわち彼が警察にでも渡されれば)、僕が何をするべきか話した。「あなたの友人の住所や西側報道機関と関係ある人の住所を書いてください」「あ...両親、私の両親の住所を教えますね。ペンはありますか?」僕はいつもペンを持っていたが、その時はなぜか探すことはできなかった。 財布、カバン、全部探しても見つけることはできなかった。
「仕方ない‥記憶できますか?住所は..」と、その時だった。「コンコン‥」 ノックの音とともにキム先生の声が聞こえてきた。「ニコラス先生、中におられますか?」僕はズボンのポケットから突然ペンを探り当てた。どうしてもっと早く探せなかったのか。ニコラスが「ここに住所を書きます」と言い、僕がささやいた。「どこ?」「この糞ったれの平壌ハガキに!では、幸運を祈っています。後で夕食で会いましょう !」そしてキム先生とニコラスはどこかに行ってしまった。











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