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復刻連載「北のサラムたち1」第15回 ああ哀しき者よ、汝の名は「北朝鮮の女」(6) 「私の経験したこと、お話しします」

疲れた様子のリアカー引きの女性。力仕事の担い手も女性が多いのがわかる。1998年10月江原道の元山市にて撮影アジアプレス。

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私は中国に売られるのを志願した

私は1998年の初め、つまり北朝鮮で飢え死にする人がどっと増えた頃に中国に逃げてきました。逃げたというより、売り飛ばされてきたと言ったほうがいいでしょう。正確に言うと、オモニ(母)が中国人から金をもらって私を中国に売ったんです。

ご存知のように北朝鮮では1990年代半ばから食糧の配給も止まり、ほとんどの工場が稼動をストップして給料も出なくなりました。両親と兄弟姉妹、どうにも生きていく術がなくなって、このままでは飢え死にを待つだけだと途方に暮れていました。

オモニは20代の私を中国人の家に嫁に行かせてお金を作ろうと考えたんです。今思えば人身売買以外の何ものでもないですよね。オモニは中国人の密輸屋から中国の金で1000元(約1万4000円)もらって私を中国に出すことにしました。中国の農村は嫁不足だから、北朝鮮の女がこっそり来てももらい手があるんです。 

私も食べ物すらない北朝鮮から早く逃げ出したかったので、怖かったけれど中国に売られていくことにそんなに戸惑いはありませんでした。家族が延命するために売りに出せるものといったら、わが家には20代の若い女の私しかなかったんですから。

「これで一家もしばらく生きていけるし、お前も中国で腹いっぱい食べられる。相手が嫌な男なら逃げ出せ」
とオモニは言っていましたよ。

相手となった中国人の男は、年が40代半ばで足が不自由な農家の長男でした。身体のハンデのために結婚が難しかったようで、両親が「金で嫁を買う」のに執心していたようです。仲介の中国朝鮮族は、この男に決めるよう私を懸命に説得しました。言葉が通じないし、年齢も離れていたので嫌でしたけれど、贅沢を言える身分でないのはわかっていたので、すぐに決めました。
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