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復刻連載「北のサラムたち1」第21回 40年目のSOS 在日帰国者一家の物語(5) 若者が「関西-関東」で対立し乱闘劇

姜英子さんが親族と撮った最後の写真。皆痩せている。1994年撮影。

 

その傷はどうしたんですか?

私の問いに、昌成さんは照れ笑いを浮かべ、傷を隠すようにさすりながら言った。

「私もやけくそになった時期があったんですよ」

昌成さんの右腕には、長さ10センチほどの、何かでえぐられたようなんだ傷があった。気にはなっていたのだが、事故かはたまた刃傷沙汰で負ったのか、自ら触れようとしない古傷について尋ねるのを、知り合ってしばらく、私はためらっていた。数度目のインタビューのとき、昌成さんのが平壌市での大乱闘事件に及ぶに至り、初めて私はその古傷について尋ねることにしたのだ。

22歳で北朝鮮に帰国した昌成さんは、(ピョンアンナムド)の田舎の鉱山に配置され、地底に潜って穴掘りをすることになった。昌成さんとしては、憤懣やるかたないが、どうしようもない。

「『勉強したいなら思う存分勉強させてやる。ソ連に留学もできる。スポーツをやりたいんだったら選手として育ててやる』、総連の幹部にそう言われて帰国したのに穴掘りでしょ。嫌になってね、そっと職場を抜け出して平壌に行ったんですわ。平壌には私と同じように鬱憤をためた若い帰国者がぎょうさんおって、グループを作ってたんですよ」

1960年代中頃までの北朝鮮は、現在のように統制でがんじがらめというようなことはなかったようで、汽車に乗ったり他都市に移動したりするのに、現在のように通行証は必要なかったという。地方に配置された昌成さんのような若者たちは自然と平壌に集まり、次第に徒党を組むようになっていったという。
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