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復刻連載「北のサラムたち1」第22回 40年目のSOS 在日帰国者一家の物語(6) 愛憎入り交じった日本への思い

1960年頃、神戸の親戚の下で働いていた当時の李昌成さん。20歳くらいか。

 

北朝鮮での暮らしが息苦しくなり、また食糧難が進行するにつれ、逆に帰国者同士の結びつきはより強まっていったようだ。同じ「騙されて帰国した」身であり、日本時代の共通の記憶を持っているので、「何といっても話が通じる」(英子さん)のだという。また、監視と差別の中で生きていくために、互いに助け合わねばという互助意識も芽生えたようだ。

「帰国者同士が集まって遊ぶのがいちばん楽しかったね。扉と窓を閉めてから日本語でおしゃべりをして、日本からの訪問団が持ち込んだ日本の歌をカセットテープでかけて一緒に歌って踊ってね。いなり寿司や海苔巻き、カレーを作ったりしましたよ」

英子さんが懐かしがる北朝鮮の思い出は、このような帰国者が集まったときのことばかりだ。

昌成さんと英子さんは、日本人の私が恐れ入ってしまうほど、「日本は良かった。日本に帰りたい」を連発した。二人が鮮明に記憶している1950~1960年代の日本社会は、在日朝鮮人への差別・偏見が、現在とは比較にならないほど強かったはずである。

日本にいたときは朝鮮人差別がひどかったでしょう? 生活も大変だったでしょう? と、北朝鮮に渡る前に成人に達していた昌成さんに質問しても、

「まあ、いじめられたよ。朝鮮人は日本ではあまり値打ちなかったからねえ。それより、今でも相撲の大鵬は生きていますか? 美空ひばりは死んだと聞いたけれど、今でも人気がありますか?」

というような調子で、日本時代の話は辛かったことより楽しかったことに傾いてしまう。

「赤城の山も今宵限り…あんたこの知ってる?」

と、国定忠治の物真似まで出るほどだ。
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このような日本に対する愛憎入り交じった思いは、他郷暮らしの辛さを帰国者が二重に経験したことからくるのだろう、と私は考えている。多くの帰国者にとって、日本は差別といじめを受けた異国の地であるが生まれ故郷でもある。北朝鮮は祖国であるが、そこは、在日をすんなり受け入れてくれる地ではなく、平穏に暮らすことも叶わなかった。さらに言えば、帰国者には、日本の生活には「苦」も「楽」があったが、北朝鮮の生活には「楽」があまりに少なかったのではないだろうか。
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