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リムジンガン1号~7号

復刻連載「北のサラムたち1」第24回 40年目のSOS 在日帰国者一家の物語(8) 支援求められる日本の親戚の苦悩

闇市場で客の食べ残しを乞う男の子。李さん一家が脱北する前後に全国で見られた光景だ。1999年8月咸鏡北道茂山(ムサン)郡にて撮影キム・ホン(アジアプレス)

 

私が延吉市で人を介してKさんと出会ったのは、昌成さん一家の保護が限界に近づきつつあった1999年夏のことだった。「在日帰国者難民一家がいる」という話を聞きつけ、私が取材を希望して昌成さん一家との対面をお願いしたのだが、一方の昌成さんにとっても保護者であるKさんにとっても、日本から来た私は、遠く日本に住む親戚と間を取り持つ「架け橋」になり得ると映ったのだった。

私は取材拠点として借り上げていたアパートに昌成さん一家を受け入れることにした。同じ屋根の下にいれば、じっくり話を聞くことができるだろうし、どうせ私が部屋を使うのは1年のうち4~5ヵ月ほどで、残りの期間は空き家である。部屋を自由に使ってもらうことにした。したがって現地滞在中は、昌成さん一家と私は同居していたことになる。

1999年の夏の取材を終えて日本に戻ることになった私は、昌成さん一家とKさんから少々気の重い頼みごとを仰せつかることになった。関西の○○市に住む親戚を訪ねて、北朝鮮の凄まじい飢餓の実情と、一家が難民となって中国に逃れた経緯、そして中国も決して安全な場所ではないことを伝えて、保護するための経費負担を説得してほしいというのだ。

1962年に1人で北朝鮮に帰国した昌成さんには、日本に大勢の親戚がいた。その中でも実姉とその息子=が、20年近く北朝鮮に住む昌成さんに仕送りをしてくれていた。妻の英子さんは、すでに嫁いでいた姉1人を日本に残して、家族全員で北朝鮮に帰国した。その姉とは音信不通になって30年になるので、近い親戚は日本にはいない。
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