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リムジンガン1号~7号

復刻連載「北のサラムたち1」第29回 40年目のSOS 在日帰国者一家の物語(13) 韓国大使館籠城計画

避難行の果てにはるばるやってきたモスクワ。つかの間の市内観光も、不安で気分が冴えない様子の3人。赤の広場のレーニン廟前で。2000年10月モスクワで撮影石丸次郎

英子さん「あのときは心臓が飛び出るかと思いましたよ」

スミ「何か訊かれて『不知道』(知らない)と答えるのも変だし、どうしよう、どうしようと思って床をずっと眺めてたの」

昌成さん「私は冷静でしたよ。知らんぷりしておけばいいと思ってたから」

Kさん「そう。お父さんがいちばん冷静でしたよ、なんせ顔が青ざめてましたから(笑)」

最大の難関も、過ぎ去れば軽口で振り返られる一瞬の出来事だった。だが問題は、ここからどうやって日本、あるいは韓国に向かうかである。「I会」が頼りにしろと言った韓国人牧師のQ氏は、モスクワで3ヵ月から下手をすると1年待機しなければならないと言っていた。

ロシア語が読める英子さんの先導で地下鉄で移動。2000年10月モスクワで撮影石丸次郎

とすると、その間に一家のビザ期限は切れてロシアに不法滞在することになる。私はそんなに長くモスクワにいることもできない。それは支援者のKさんも同様だ。自宅に北朝鮮難民を4人も匿っているというQ牧師は、「どこにも居場所がなければうちに連れてきなさい」と言ってくれていた。

しかし、私にしてもKさんにしても、難民をモスクワまで連れて来て「後はよろしく」と押し付けて帰るわけにはいかない。李さんたちは話し合った結果、Q牧師にすがるのは、やるだけのことをやって方法がほかにない場合にしよう、とにかくまず韓国大使館に相談してみようということになった。

その理由は、日本で生まれ育ったとはいえ、日本大使館が保護してくれる可能性はほとんどないこと。そして、韓国憲法上は北朝鮮人も韓国公民であるので、強引にねじ込めば同胞を捨て置きはしないだろうという彼らの読みがあった。しかし数日後、この期待があまりにも甘かったことを思い知らされる。

Kさん「命がけで中国に脱出して1万キロ近い旅をしてモスクワまで来たのだから、韓国大使館も助けてくれるだろう」

昌成さん「ソウルに送ってくれるまで大使館を出ないと言って座り込もうか」

英子さん「鎖で身体をぐるぐる巻きにして鍵をかけて、死んでも韓国に行く!と言えば何とかなるでしょう」

スミ「籠城というやつね。記者先生(筆者のこと)も一緒にやりましょう」

石丸「俺も?俺はできないよ。韓国人じゃないから犯罪者になってしまうよ」

昌成さん「鎖と鍵を…それから食糧も準備しないとなあ」

李さんたちは大まじめに「韓国大使館籠城計画」を立てたのだった。

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