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リムジンガン1号~7号

復刻連載「北のサラムたち1」第35回 在日朝鮮人4代の彷徨の果て(3)娘の嫁ぎに転がり込んだ元在日の父

孫のキルファをたいそう可愛がったリョンホさん。潜伏先の黒竜江省の農村で。
2000年3月撮影石丸次郎

 

脱出、逮捕、送還、そしてまた脱出

北朝鮮到着後、一家が配置されたのは中国国境に近い威鏡北道にある山村だった。日本でいえばいきなり網走あたりに配置されたようなものだ。質素な家が一軒与えられ、両親は牧場に配置された。リョンホさんは2年間だけ学校に通った後、同じ牧場に配置され、以来中国に脱出する1998年までの約40年間、羊や山羊を追って暮らしてきた。

日本でホルモン焼き屋をして蓄えた小財産は、「北朝鮮には何でもある」という総連幹部の言葉を信じて、両親が帰国する前に整理してすべて総連に寄付したという。

「帰国した当初はコメとの混じった配給があって飢えることはなかったけれど、コメもおかずも、それに服や靴も日本のものと比べると質がとても悪い。子どもに教育を受けさせようと思っていたのに、帰国者は上の学校にもなかなか行けない。父は本当にがっかりしていましたよ。『地上の楽園』という宣伝を信じていたからね。

日本では総連のイルクン(働き手)もしていたから、いつか平壌に配置を変えてくれるはずと言っていましたが、それも無理なことがわかるとひどく落ち込んで、酒浸りになりました。最後は『総連に騙された。(ハン・ドクス)(故人・元総連議長)に騙された』と言いながら父は死にました」

父親が亡くなったのは1970年代初め。同じ頃リョンホさんは帰国者女性と結婚し、息子と娘をもうけた(のち、離婚)。日本に近い親戚はおらず、仕送りが一度もない中、牧場で働きながら2児を育てた。

そして1990年代。大飢饉が北朝鮮を覆い尽くした。周囲で人がバタバタ死に始め、万事休した一家は中国逃亡を企てた。まず娘のキョンミさんが渡河し、「難民花嫁」となって拠点を確保したことはすでに述べたとおりである。
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