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リムジンガン1号~7号

復刻連載「北のサラムたち1」第42回 中国で体験した擬似北朝鮮社会とは(2) 「難民ハウス」の住人たち

豆満江沿いの村に立てられた「非法越境者を助けるべからず留め置くべからず」の立て札。1997年夏撮影石丸次郎


◆一晩に50人 押し寄せる飢民

1998年4月。中国に越境する北朝鮮難民がピークを迎えた時期のことである。

国境の川・豆満江上流に位置する吉林省和龍県芦果村は、村の目の前100メートル先が北朝鮮威鏡北道(ムサン)郡である。茂山には日本の植民地時代に開発された巨大な鉄鉱山があり、推定人口は10万人。鉄道交通のの地であるため、中国脱出を目指す人々が、北朝鮮中からこの茂山にやって来る。

同じ豆満江沿いの会(フェリョン)市、鴨緑江上流の両江道恵山(リャンガンドへサン) 市と並んで、朝中国境最大の越境ポイントになっていた。

茂山の川向かい、中国側の芦果村は、人口1000人ほどの小村だ。この当時、文字どおり「押し寄せてくる」北朝鮮越境者・難民に村は悲鳴を上げていた。白昼堂々、北朝鮮の子どもたちが村の中を歩き回る。

「国境線はあってないような状態だ」と、村人自身が驚くほどの急増ぶりだった。

私は1997年からこの村を取材拠点のひとつにしていた。金さんという農家にたびたびお邪魔し、国境での定点観測を続けてきた。この越境者・難民流入のピーク時、芦果村には1日に50人以上の北朝鮮人が、川を越えて渡ってきていた。

この時、越境してくる北朝鮮人は2つのタイプに区別することができた。

ひとつは芦果村でコメや食糧を調達して、また北朝鮮に戻る人と、行き来を繰り返す密輸屋。そしてもうひとつは、芦果村を足がかりに、中国内部へと散っていく難民である。

芦果村自体は戸数も少なく、また中国国境警備隊の派出所があり警戒が厳しい。したがって難民たちの芦果村での滞留日数は長くはない。それでも、村人にとって、大量の北朝鮮飢民の流入は一大事であった。なにしろ、シラミまみれのポロをまとった、腹ぺこの人の群れである。むげに扱うわけにもいかず、どこの家も食糧や衣服を施していた。

自分たちの着替えが尽きた、家に入れたらシラミが伝染したという類の話は、村のどこの家を訪れても聞かされた。中には性質の悪い越境者もいて、牛や豚や鶏が行方不明になる事件も頻発していた。
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