アジアプレス・ネットワーク

核心の現場から伝える 報道ウェブジャーナル

リムジンガン1号~7号

復刻連載「北のサラムたち1」第53回“反体制派難民”との共同生活(5) 盗賊と化した飢えた軍人に襲われる

闇市場をうろつく人民軍兵士。90年代中盤から飢えた軍人による強盗、殺人など凶悪犯罪が横行した。1998年3月羅津(ラジン)市にて撮影石丸次郎

 

パク・ドンミョンが書いた90年代後半の大飢饉の実相を続けよう。

◆牛を殺して食べ公開処刑に

外国からの支援は、国連だか米国だかのトウモロコシと長米を一家5人で各々1キロずつ受け取ったことがあったがそれきりだった。外国からの支援米は皆軍隊に行っていると、人々は噂し合っていた。

我が家の食糧事情もいよいよ逼迫し始めた。列車事情は悪くなる一方だったので、自動車を乗り継いで農村に通った。通りすがりの車にタバコを手に持って振ると、行き先が合えば乗せてくれるのだ。そうして乗り継ぎを繰り返して目的地まで向かう。

江原道(カンウォンド)の元山(ウォンサン) で車を降りたときのことだ。闇市場に出てみると、「裁判を始めるから集まれ」との触れが出ていた。仕方なく待機していると、数人の犯罪者が連れ出されてきた。罪状は電気線を切り取って売り国家経済をマヒさせた罪、国家財産の牛を殺して食べた罪であった。

北朝鮮で公開裁判をするときは、各職場や組織の責任者が住民に集まるように動員をかけるのだが、誰もそんなものを見たくはないので、理由をつけて行かなかったり、行くと言ってそのときだけ姿をくらましたりということも多い。しかし、このときばかりは公開裁判に出くわしてしまったので逃げるわけにもいかず、見ることになってしまったのだ。

結局、その罪人たちは銃殺されることになった。射撃手が何人か出てきて、木に縛られ□を塞がれたその罪人を一人ずつ一斉に撃った。射撃手はみな頭を撃ったため即死した罪人の頭は粉々になって、原形を留めていなかった。

さらに「もっとよく見よ」ということか、頭の中身が無残に飛び散った死体は、1時間近くそのまま放置された。私自身、銃殺を目撃したのは久し振りだったが、食糧難が深刻になって犯罪が増えると、銃殺も頻繁に行われるようになっていった。秩序維持のための見せしめであることは明らかだった。
「北のサラムたち1」は電子書籍で全ページがお読みいただけます。詳細>>>

この記事は会員記事です。 すべての写真、記事、動画をご覧になるには、有料会員登録が必要です。 以下の、新規会員登録リンクより、新規会員登録ができます。 会員の方は、ログインしてください。

既存ユーザのログイン
   
金正恩時代の中学校教科書資料集 DVD
Return Top