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<福島県大熊町>震災から6年5か月~津波に流された娘・汐凪(ゆうな)を捜して(2)児童館から家へ帰ったところを津波に【尾崎孝史】

津波で流された汐凪さんの母・深雪さんの車を見つめる家族。その向こうには、祖父・王太朗さんの車もある。 (2014年3月29日 大熊町熊川地区にて撮影:尾崎孝史)

2011年3月11日に起きたこと

朝7時前、「行ってきまーす」と祖父母に声をかけ、汐凪さんは海に面した自宅を出た。背中には汐凪さんが好きだった水色のランドセル。靴はピンク地にグレーのデザインが入ったスニーカー。姉とおそろいのマフラーは巻いていなかった。姉妹は丘の上の小学校まで一緒に歩いた。

8時半、1年2組の授業が始まった。クラスには足の不自由な女の子がいた。担任の橘内悦子先生(58)は、彼女のことを気遣ってくれる汐凪さんをいつも頼りにしていた。

午後2時前、給食後の遊び時間が終ると汐凪さんは教室を出た。夕方、母の深雪さんが迎えにきてくれるまでの間、小学校の前にある児童館で過ごすためだ。

校門のところで、「さよなら」と声をかける橘内先生。汐凪さんは、「行ってきまーす」と言って手を振った。

熊町小学校の児童、30人ほどが集まっていた児童館。みんなが机に向かって宿題をしていた時に揺れが起きた。「あ、地震だ!」と叫び、泣き出す子どももいた。汐凪さんは、「先生もいるし、みんなもいるから大丈夫だよ」と、友だちを慰めていた。

しばらくして、姉の舞雪さんを迎えにきていた祖父の王太さんが児童館にやってきた。「地震すごかった? 大丈夫?」と声をかける王太さん。汐凪さんは少し安心した表情をして、王太さんの車に乗り込み自宅へ帰った。そして、愛犬のベルを心配して職場から戻った母の深雪さんとともに、三人は自宅の近くで津波に飲まれた。

隣町の養豚場に勤めていた紀夫さん。地震で床下に落ちた200頭の豚を救い出す作業を終えて町へ戻ると、自宅は消え去っていた。そして、避難所で会った母の巴さんと長女の舞雪さんから、家族三人がいないと聞かされる。小雪舞う暗闇の町で、紀夫さんは捜索を始めた。
 
「僕はベルを連れて自宅の周りを捜しました。『汐凪!』、『深雪!』と声をかけながら。いま思うと、汐凪の骨が見つかった場所の近くも何度か歩きました。ただ、そこは津波で水没していたので一人では何もできませんでした。ベルも特に反応しませんでしたし・・・。明るくなったら消防が捜索を始めてくれるだろう、と考えながら歩いていました」(つづく)

(※初出;岩波書店「世界」2017年4月号)

<筆者紹介>
尾崎 孝史 おざき たかし 
1966年大阪府生まれ、写真家。リビア内戦の撮影中に3・11を迎え、帰国後福島を継続取材。AERA、DAYS JAPANほかでルポを発表。著書に「汐凪を捜して 原発の町 大熊の3・11」(かもがわ出版)、「SEALDs untitled stories 未来へつなぐ27の物語」(Canal+)。

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