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リムジンガン1号~7号

世界的理想主義を掲げた幕末の思想家・横井小楠(加藤直樹)

横井小楠(1861年8月 鵜飼玉川撮影、国立国会図書館蔵


■戦争をやめさせる「世界の世話焼き」になれ

幕末の思想家といえば、多くの人は真っ先に吉田松陰や佐久間象山を思い浮かべる。熊本出身の思想家・横井小楠の名前を知る人は多くはないだろう。私はしかし、今の日本で光をあてられるべきなのは小楠の思想だと考えている。(加藤直樹)

横井小楠は1809年(文化6年)に中堅藩士の次男として熊本藩に生まれた。藩校で学生指導者に選ばれながら些細な不祥事によって学校を追われた彼は、出世の道を棄てて在野の思想家として生きる道を選んだ。儒教理論体系である朱子学を、さらに普遍的な理想主義へと高めるその思想的営為は、黒船来航以降の西洋の衝撃を受けてさらに深められていった。

彼は血統主義に基づく幕藩体制を「徳川御一家便利私営」と批判し、返す刀で尊王思想に権力の根拠を求める議論をも「理に暗きなり」と切り捨てた。政治権力は「公共の天理」、つまり普遍的な道理によってのみ正統性をもつのであり、何が公共の天理であるかは「公論」、つまり討論を通じて見出されるべきだというのが、小楠の主張だった。

これによって彼は、近年では公共哲学の先駆者として再評価されている。だが小楠の思想の意義はそれにとどまるものではない。彼は「公共の天理」を一国的にではなく、世界の中で、人類全体の中で考えたのである。「道は天下の道なり。我国の、外国の、と云う事はない…無道に成るならば、我国・支那と云えども即ち夷(=野蛮人)なり」(村田氏寿「横井氏説話」)。

そのうえで彼は、幕末の日本が行おうとしている変革が、果たして世界人類に対してどのような意義を持ち得るのかと考えた。たどり着いた結論は、日本は世界から戦争をなくす「世話焼き」になるべきだ、というものであった。当時は帝国主義全盛の時代であり、世界中で侵略戦争が続いていたからである。

「ここで日本に仁義の大道を起さにはならぬ。強国に為るではならぬ。強あれば必ず弱あり。この道(=仁義の大道)を明にして世界の世話焼きに為らにはならぬ。一発に一万も二万も戦死すると云うようなる事は必ず止めさせにはならぬ。そこで我日本は印度(=植民地)になるか、世界第一の仁義の国になるか、頓とこの二筋の内、この外には更にない」(同上)

彼は故郷・熊本では理解されず、初老に入った頃にようやく福井藩主の松平春嶽に見出される。さらには新政府に参議として迎えられたが、1869年(明治2年)、京に上ってまもなく頑固攘夷派の浪士に暗殺された。幼い明治天皇に向けた彼の上奏文には、こんな一節があった。「戦争の惨憺万民の疲弊、これを思いまた思い、さらに見聞に求めれば自然に良心を発すべし」。

小楠の「公論」思想は勝海舟、坂本龍馬、高杉晋作などに影響を与え、由利公正を通じて「五箇条の誓文」に結実する。だが「公共の天理」というその思想的コアは誰にも受け継がれなかった。

小楠はまた、日本が自国中心主義を押し付けながら世界を「横行」しようとすれば「後来禍患を招く」だろうと警告した。その警告は結局、明治維新から70数年後には現実となった。要するに近代日本は、ことごとく小楠の指し示した方向の逆に進んだのだ。

21世紀の今、日本は「公共の天理」に立った態度で他国と向き合っているだろうか。それとも日本の中でしか通じない「無道」を押し通して世界を「横行」しようとしているのだろうか。戦争をやめさせる「世話焼き」であろうとしているだろうか。それともその逆だろうか。日本近代のもう一つの可能性というべき横井小楠の思想から、そろそろ学ぶべきときだ。

加藤直樹(かとう・なおき)
1967年東京都生まれ。出版社勤務を経て現在、編集者、ノンフィクション作家。『九月、東京の路上で~1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)が話題に。近著に『謀叛の児 宮崎滔天の「世界革命」』(河出書房新社)。

【書籍】 九月、東京の路上で ~ 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

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